本日は9/10。どうやら
世界自殺予防デーらしい。
[死にたい事は人生で何度もあった]
僕は群れの中にいて雑な扱いを受けたり、
どうでも良い事で差別されたり、
からかわれたりするような少年期だった。
その為、能力主義に傾倒する事になる。
中学校と高校はほぼ勉強と読書と筋トレ
で過ごした。今の僕のルーティンはこの頃の
習慣があるから成り立っていると思う。
全ては能力を向上し、それにより蔑んできた
人間と違う世界へ飛び出す事だけが目的だった。
[駄目だった。逃げれば良かった。]
能力は確かに向上した。16歳~18歳の高校時代の僕は、
その当時は運動神経は無かったが、筋力が高かったので、
一般的な学生に比べると運動能力がとても高かった。
学力も基本的な部分はある程度高く、
英語もそれなりのペースで完成していたし、
駿台予備校の高1の最期にあるチャレンジセンター模試のような
名称の企画では、自分の高校内偏差値はトップをマークした。
全体では50後半~60くらいだったが、学内では75だった。
早稲田や慶應に入ればヒーロー扱いされるような、なんちゃって
準進学校だったのだが、これはそれなりの自信につながった。
普通にやればそれなりの学校に入れると塾では言われていた。
しかし、優先順位を誤り、学業よりも部活動や人間関係を取って
しまった。通っていた塾を辞めてしまったのだ。
今思えば、部活動を辞めて学業に励むべきだった。
謎のプライドがあり自分の力で勉強し、文武両道を続けた。
部活動に専念して高校3年生の部活引退後から勉強をするつもりで、
いたのだが高校2年生の秋頃から人間関係に疲れ、学業をおろそかに
してしまったせいで学力が低下し焦り、心理的に追い込まれていった。
その頃にはクラスに友達が一人もいなくて、クラスではカミュや
ドストエフスキー、漱石・・・etcの文豪と呼ばれる作家の作品を
片っ端から読んでいた。ただただ孤独だった。
クラスメイトが全員幼く見えて、誰とも話が合わなかった。
人生とは何か?という形而上的な問題をひたすら抱えて
常に生きるか死ぬかみたいな精神状態だった。
部活でレギュラーを奪う事だけがその当時の目標だったのだが、
心身共にその頃にはボロボロでいつ死んでもおかしくなかった。
結果的に身体を壊した。
最後の夏に僕は部活の背番号は9番を貰った。
これは、4番から始まるバスケではレギュラー外という
事になる。そう、僕は力が足りなくて争いに敗れた。
[成績がどん底の高校三年]
高校三年生になる頃にはかつて得意だった英語は
ガタガタにできなくなっていた。おそらく下から数えた
方が早かった気がする。大学受験をした事がある人には
わかると思うが、大学受験の文系で英語ができないのは
死を意味する。
死ぬほど本を読んでいたせいか、ほぼノー勉強で
現代文の偏差値は75を超えていたと記憶していたが、
社会科目も未完成で英語はできなくなっていていたので
常にプレッシャーにさらされていた。
この頃はもうギリギリの精神状態で夜眠れなくなっていて、
自分はいつ死んでもおかしくないと思っていた事を覚えている。
だけれども、大学受験で逆転して良い学校に入れば全てが
報われると思っていた。
[結果的に僕は殺された]
結果的に身体を壊して全てはパーになった。
加齢も原因だが、もう以前のように身体は動かない。
(複雑な障害があるとかでは全くないが、心境と加齢で)
大好きだったはずのバスケットボールは全力ではできなくなった。
大学受験も失敗し、遅れて合わない学校に入ったが、
馴染めずに半年で不登校になり2年生の年に辞めた。
僕が学校や受験業界や世の中の仕組みに
馴染めないのは、システムに殺されたからだと思う。
システムに馴染んで上手く立ちまわっている人間が
羨ましい反面とてつもなく嫌悪している。
[殺るか、殺られるか]
結局は、小学校から大学まで全て経験したのだが、
基本的に人間関係は敵か味方かで区別する事にした。
この考え方には異論はあるかもしれないが、仕方が無い。
そして敵の場合は、殺るか殺られるかだと思う。
僕は基本的に攻撃を仕掛けないし、争いは好まないのだが、
たまに僕みたいなひねくれて本当は協調性が無いのに、表向きは
ノリをそれなりに良くしている人間を攻撃してくる輩がいる。
そういう人間には、きちんと人間関係の線引きをしよう。
基本的に相手の立場を考えられない人間はどのコミュニティ
にも存在していてあなたを殺しにかかってくる。
[逃げる事も重要だった]
派手に身体をぶっ壊してからは家族も色々と考慮し、
逃げ道を作ってくれるようになったが、本当の事を
話すと小学校の時から不登校の気配はあった。
小学校の時から学校には常に行きたくなかった。
何故ならば、友達と言う名前ばかりの表面上の付き合い
をしながら攻撃をしてくる人と、社会経験が少ない教師
という自分がルールだと言わんばかりの人間がいたからだ。
スクールカースト最下位の小学校~中学1年生を経験した
僕はボロボロになりながら、休みたい休みたいと言ったのに、
行けと言われて学校に行かされていた。
今思えば、元々社会に不適合な部分があったのに、
強制的に学校に通っていた。だからこそ基礎学力はついたと思うし、
今のようなシニカルな思想や、文体が完成したとは思う。
仮に逃げたい子どもがいたら、親は壊れる前に逃がした方が良いし、
子どもや学生でも社会人でも環境が合わなくて逃げたいなら逃げて
良いと思う。
人生は一度壊れると高確率で取り返しがつかない。