世の中には、ブログの書き方を教えてもらい、その対価にお金を支払うというビジネスが存在する。
僕はこの、お金を払ってブログの書き方を教えてもらうというその行動に疑問を抱いている。
勘違いしないで欲しいのは、ブログサロン等を批判するワケではないということだ。
僕も大学生の頃、オンラインゲームのリアルマネートレーディングの仲介という黒に近いグレーなことをやっていたのでビジネスのモラルについてどうこう言及できる立場にはないし、するつもりもない。
法に抵触したり社会通念上妥当性に欠けるようなものでない限り、需要と供給が成立していればそれはお金を稼ぐための手段として立派に成立しているわけなので、僕は素直にすごいと思う。
僕が疑問に思っているのはあくまでも教えてもらう側の人たちだ。
なぜ自力で成し遂げようとしないのか
なぜ自力で成し遂げようとしないのか、これがまず僕が感じる疑問だ。
僕は普段から、人に聞く前になるべく自分で調べ、自分で実行することを心がけている。
なぜなら、自分の人生を振り返ってみると、人に教わったことよりも自分で苦労して調べて学んだことの方がはるかに自分の身になっているからだ。
僕は新卒で入社した会社で約3か月間に渡る研修を経たのち、かく営業所に配属され、業務に従事した。
今改めてサラリーマンとして働いた3年間を振り返ってみると、正直研修で学んだことなどほとんど覚えていない。
覚えているのは、何の知識もないのにお客さんの前に放り出され、お客さんに己の無知をさらし、恥をかいたあのときに学んだことだ。
「もうこんな恥ずかしい思いはしたくない。」
「次はしっかり説明できるようにしよう。」
そう思い、必死に自分の会社の商品について調べあげ、覚え、一人で何度もロープレした。
あのとき身についた知識は、今でもしっかり覚えている。
研修は、自分以外にも大勢の同期たちと一緒に、人事部から様々なことを教えてもらう。
研修では、実際にお客さんの接客をやらされるわけでもないし、恥をかくこともない。
このような状況下では人は受け身になってしまうので、どれだけ丁寧に教わろうが当事者意識が生まれにくい。
これはブログでも同じことだと僕は思う。
実際にたくさんの記事を書いてみて、アクセスが集まらないという壁にぶち当たり、アクセスが集まるような記事の書き方を自分で調べ、改善しようと試行錯誤する。
こういった自らもがいた経験や、必死になって得た知識こそが、己の血となり肉となるのではないだろうか。
ネットで稼ごうとしているのになぜネットを駆使しないのか
これも、お金を払って教わろうとしている人たちに対して強烈に思う疑問だ。
あなたたちはインターネット上でお金を稼ぎたいのではないのかと。
それならば、なぜそのインターネットを駆使して調べようとしないのか。
Googleは、無償でどのようなブログの講師たちよりも豊富な情報を提供してくれるのに、なぜいきなりお金を払い、教えを乞おうとするのか。
ブログを始めていきなり人に教わろうという人たちは、このようなインターネットの可能性を自ら否定しているに等しい。
インターネットでお金を稼げると信じているのなら、インターネットの情報量を信じろよと言いたい。
自分のブログは検索して見にきてもらいたいくせに、なぜ自分は検索して調べてみようと思わないのか。
インターネットでお金を稼ぎたいのに、今まさに目の前にあるパソコンで、その手で握っているスマートフォンで情報収集をしようとしないのか。
行き詰ったら教わろう
僕はお金を払って教えてもらうことを全否定するつもりはない。
当然、ブログの書き方を教える側の人間たちは、教わろうという人たちよりも経験も知識もあることは間違いないのだ。
ただ、初めからそのようなものに頼ろうというその根性は全力で否定したい。
とにかく、打席に立とう。
空振りしてもかっこ悪くはない。
打席に立っている君の姿は君が思う以上にカッコいい。
僕はこのような人たちにはこの言葉がぴったり合うと思う。
なぜイチローになってからバッターボックスに立とうとするのか。
なぜイチローになってからブログを書こうとするのか。
なぜ初めからきちんとしたノウハウを身に着けてからブログを書こうとするのか。
空振りしたっていいじゃない。
タイトルの付け方がおかしくったって、日本語がおかしくったって、別にいいじゃない。
ブログを書いているうちにそのうちアクセスが伸びなければ、自分のやり方がおかしいことに気付き、改善しようとするだろう。
そしたら、どのようにアクセスを伸ばせばいいのか、自分で試行錯誤をするようになるだろう。
そうして試行錯誤をしても、やはりアクセスに結び付かない。
そうなったら初めて人に教わろう。
試行錯誤を繰り返しても、努力の方向性が間違っている可能性だってある。
自分だけでやっていては気づきにくいことも多いというのもまた事実。
最後に
僕も今まさに空振りをしている真っ最中だ。
みんなも一緒に空振りをしようじゃないか。
繰り返していればボールに球を当てる感覚がつかめてくるかもしれない。
そうやって試行錯誤をして、ヒットが出れば小さな自信が沸いてくるだろう。
お金を払っていきなり人に教えを乞うのはもうやめよう。
正しい知識を身に着けてからバッターボックスに立たなければならないという考えはもう捨てよう。
独力で記事を書き、何度も何度もバッターボックスに立とう。
自ら調べ、自ら記事を書き、壁にぶち当たったら、自ら改善してみよう。
そして試行錯誤の末、アクセスを集めることが出来たならば、その時の成功体験がさらなる高みへと己を導いてくれるだろう。
失敗と成功の積み重ねが、いつの日か自分をイチローにしてくれるかもしれない。
さぁ、今日も下手くそな記事を書こう。