こんにちわ、サユです。
ここ数日の間に「承認欲求」という言葉をたくさん目にする機会があって、いろいろ考えたので、そのままブログのネタにしようと思います。
「承認欲求」とは、誰かから認められたい!尊敬されたい!と思う気持ちのことです。
有名な心理学者のマズローによると、「承認欲求」は「他者承認」と「自己承認」の2つに大きく分けられるそうなのですが、よく問題になるのは「他者承認」の方ですね。
他の人に認められたくてとんでもないことをしでかしたり、他の人に認めてもらえなくて苦しんだりと、集団で生きることを選んだ人間という生物は、しばしば「認められたい!!」という気持ちに振り回されます。
承認欲求が強い人は鬱陶しい、という意見を聞きますが、「承認欲求」自体は悪でもなんでもありません。人間に基本的に備わっているもので、ごくごく当たり前の、普通のものです。
承認欲求の強い?子供時代。
私は、多分、承認欲求が強い子供でした。ですが、少々特殊だったと思います。求めたのが親からの承認だけだったからです。
親から認められるということは、つまり「いい子」であればOKだということ。
「いい子」だという情報を親に伝えるために必要なのは、学校の友達からの承認よりも学校の先生からの承認、そしてテストの成績です。
うつ病になって全てが破綻するまで、私はひたすら優等生でした。
認められたいという気持ちはあっても、必要以上に目立つことは嫌でした。優等生でいるためにも、みんなの前で恥をかくことが何より怖かったです。
その頃の名残か、今でも私はふざけることが苦手です。目立つことをやって、否定されたり批判されたりするくらいなら、何もしないほうが良いという気持ちも、まだいくらか残っています。
ブログを見に来てくれる人が増えると妙な汗が出るのもきっとその所為でしょう。
承認欲求とブログ。
私がブログを書く際の原動力になっているのは、やっぱり承認欲求です。
いや、「承認欲求」というよりは、「承認されることへの期待」と表した方が正しいように思います。
「反応貰えたらラッキーだな!」「いいねって言ってもらえたら嬉しいな!」くらいの感じなので、「欲求」と言い切ってしまうと強過ぎる気がします。
だからでしょうか。
認められるために誰かにすり寄ってみようとか、自分の意見をウケの良いものに合わせてみようとか、時事ネタに乗っかってみようとか、思ったことがないです。
……嘘です。思ったことはあります。でも無理だったというのが現実です。
自分の思ったことを、自分の言葉で、できる範囲で。
それでも満足できているのは、自分で自分を認められているから。
プラス、一緒に暮らしている家族が、私を認めてくれているから。
だから、「反応貰えたらラッキーだな!」くらいのモチベーションで、ブログが続けられるんだと思います。
自己承認ができてる場合の承認欲求。
承認欲求が強い人が鬱陶しいと言われてしまう理由を自分なりに考えてみました。認められたいと思うのは悪いことじゃないハズなのに、何がいけないのか、と。
「認められたい」と言いながら、承認を強制してしまっているのではないか、という結論に至りました。
そもそも、何の努力も無しに自分が認めたものを他人が同じように認めてくれるというのは、ラッキーなことなんです。たまたま考えが一致しただけなんですよ。
自分以外はみんな別の個体、別の人間なんだから、別の考えを持っていて当然です。
別の考えの人を自分と同じ意見にしようと思ったら、努力が必要ですよね。いっぱいアピールして、話をして、納得させて、やっと同意が得られる。
自分の意見を周りが認めてくれなかったとしたら、周りに認めさせるだけの説得力が不足していたっていうことです。それでもどうしても認めて欲しいと思ったら、頑張って手を尽くして認めさせたい相手を説得する必要があります。
それを、認められないからといって嘆いたり、何の努力もせずひたすら承認を迫るだけでは、相手も嫌になってしまうでしょう。
「周りが認めてくれない!認めてよ!」
というのを、
「周りが自分と同じように考えてくれない!自分と同じように考えてよ!」
と言い換えてみると、どうでしょう。
ただの駄々っ子になりますよね。
駄々っ子の主張が通るハズがないのは、皆さんご存知の通りかと。
また、「自分の意見が認めてもらえないから自分には価値が無い」という考えになってしまう人がいますが、それは違います。
気持ちはわかりますが、違います。
認めてもらえなかったのはあなた自身ではありません。あなたの意見です。あなたの意見が、他の人に認めてもらうにはいくらか不足していただけです。
誰も、あなた自身の価値を否定してはいません。
自己承認ができてない場合の承認欲求。
何の努力もしないで、自分の意見や行動を相手が評価してくれるというのは、本当にラッキーなんです。
相手のためを思った行動でさえ、時には相手に全否定されたりするんですから。
「承認要求が強過ぎる」例として、とにかく、自分は幸せだ!っていうことをアピールしまくっている人の話を見かけました。
どうしてそんなにアピールするんでしょう。自慢なのかな?幸せのおすそ分けかな?
まぁいいじゃないか、幸せなら何よりなのです。
でも、もしその人が、幸せだ!ということをアピールして、それに対して反応が無いことを不満に思っていたとしたら、ちょっと心配です。
自分で自分が幸せだと思っているなら、反応が無くたって別に良いハズ。
だって、何も言われなくたって幸せなんだから。
他の人の反応が欲しいというのは、自分が幸せだということに自信がないから、誰かに認めてもらいたいっていうこと、ですよね?
自分で認められないものが他人に都合良く認めてもらえるというのは、ラッキーの中のラッキーです。あまり期待しないほうが良いです。
そして、自分が認められないものを他人が運良く認めてくれたとしても、結局自分で自分にOKを出せないうちは、いつまでも他人からの承認を求め続けなくてはならなくなります。
承認を求める側も、求められる側も、疲れてしまいますよ〜。
他の人から肯定されないと落ち着かない人、他の人に認められたくてたまらない人は、まず、自分で自分の意見や行動を認められているか、つまり「自己承認」ができているかどうか、確認してほしいです。
まずは自分にOKを出してください。どうせ自慢するなら、自信があるものを自慢しましょうよ!
他者承認は動機、自己承認は自信。
自己承認は自信です。自分の価値を信じることです。
あなたの行為の価値は、最終的には他人からの評価によって決まるのかもしれません。
でも、あなた自身の価値は、あなたが認めることによってはじめて発生します。
「認められたい」っていう気持ちは大事にしてください。
それはものすごいエネルギー源です。私も、上手に利用したいと思います。
ただし、相手に無理矢理押し付けて承認させるような態度は、迷惑になるのでやめましょう。
しつこく迫らなくたって、あなたの意見や行為が十分なものであれば、認めてもらえますよ。