[PR]

乳糖や生理食塩水といった薬理作用のない薬でも、効果を期待して使うと自覚症状が改善することがあり、この効果を「プラセボ(偽薬)効果」といいます。薬効成分を含んだ本当の薬(実薬)にもプラセボ効果があり、うまくプラセボ効果を引き出すことができれば薬の効果が上がります。

 

しかし、プラセボ効果は良い面ばかりではありません。プラセボで悪い効果が表れることもあります。大分大学にいらした中野重行先生は、医学部生を対象にした薬理学実習で、プラセボが有害な作用を及ぼした例について次の中で述べています。

 

『中野重行、プラセボについて考える プラセボ対照二重盲検比較試験における盲検性の水準とその確保』 (薬理と治療 42巻5号 Page317-324 2014年) http://www.med.oita-u.ac.jp/pharmaceutical_medicine/koza/sanko_pdf/s1-d-108.pdf別ウインドウで開きます

 

プラセボ、または、β遮断薬(心臓の薬)を医学生に飲んでもらって、脈拍や血圧の変化を観察するという実習です(私も似たような実習を学生のころ行いました)。β遮断薬だとわかって飲むと、その思い込みが脈拍や血圧に影響します。また、脈拍や血圧を測定する人がプラセボかβ遮断薬かを知っていても、測定に影響が出るかもしれません。なので、被験者も測定者も、飲んでいるのがプラセボかβ遮断薬かわからないようにして実験します。「二重盲検法」といって、実際の臨床試験でも使われている手法です。

 

***********

あるとき、実習中にこんなことがありました。薬剤を内服して1時間くらいたったころ、一人の女子学生が、仲間に付き添われて、「体がだるくてきつい! β遮断薬があたったためと思う」と訴えて筆者のところに来ました。本人も付き添ってきた仲間も、β遮断薬があたったためと疑うことなく思っているようでした。

*************

 

β遮断薬は脈拍を遅くし、血圧を下げる作用がありますので、人によっては体がだるくなっても不思議ではありません。ただ、実習に使う量だとそれ以上のことは起こらず心配は要りません。気分が悪くなった学生はそのまま様子を見られました。実習の最後に「キーオープン」が行われます。これで、誰がβ遮断薬を飲んだのか、それともプラセボを飲んだのかが明らかになります。

 

***********

ついに、彼女の服用した薬剤名が読み上げられました。なんと彼女はプラセボがあたっていたのです。このときの彼女の複雑な気持ちの動き、多くの他の医学生たちの様子、教師としての筆者の心の動きが交錯したそのときの情景が、いまも目に浮かぶような気がします。それぞれの立場によって心の動き方は三者三様ですが、その場の空気が大きく動いたことが感じられました。彼女はもちろんのこと、多くの医学生はプラセボ効果(反応)について多くのことを学んだと思います。これは、若き日の医学教育の場における貴重な思い出の一つになっています。

*************

 

β遮断薬を飲んで体がだるくなるのはわかりますが、薬効成分を含まないはずのプラセボを飲んでも体がだるくなることがあるのです。よく考えてみれば、症状が良くなるという期待を込めて薬を飲んで症状が良くなるのなら、症状が悪くなるという不安を持って薬を飲んだら症状が悪くなることも、それほど不思議ではありません。

実際の臨床試験では、対照群にプラセボが投与されることがありますが、一定の割合でプラセボ群にも有害事象が観察されます。興味深いことに、プラセボ群で観察される有害事象は、比較対象となる実薬群の副作用と似ているのです。

つまり、吐き気の副作用を持つ実薬と比較されたプラセボ群では吐き気が多いし、不眠の副作用を持つ実薬と比較されたプラセボ群では不眠が多いという具合です。「吐き気が出るかもしれない」「不眠が起こるかもしれない」という予想が症状を引き起こすことがあるのです。

<アピタル:内科医・酒井健司の医心電信>

http://www.asahi.com/apital/healthguide/sakai/(アピタル・酒井健司)

アピタル・酒井健司

アピタル・酒井健司(さかい・けんじ) 内科医

1971年、福岡県生まれ。1996年九州大学医学部卒。九州大学第一内科入局。福岡市内の一般病院に内科医として勤務。趣味は読書と釣り。医療は奥が深いです。教科書や医学雑誌には、ちょっとした患者さんの疑問や不満などは書いていません。どうか教えてください。みなさんと一緒に考えるのが、このコラムの狙いです。