がん告知を受けてドン引きしたお見舞いのことば - はてこはときどき外に出る
今までの人生経験プラスこういうの読むと「どこに地雷があるかわからない」=何が相手の逆鱗に触れるかメンタル攻撃になるか皆目見当が付かないと思われるので結局「関わらない、何も言わない」になるんだよね、俺。
2016/05/02 09:42
医師ですらこれをやるから普通の人がこうなるのは無理もない。談笑しながらベッドをまわってきた医師がこちらのベッドに向き直ったとたん「はっ」とお通夜顔になり、「具合はどうですか?…そうですか…では」と動揺しながら去って行く姿はなんともいえない怖さがある。*1ぜひ一度みなさんにもその目で確かめていただきたい。それが当事者としての経験でないようお祈りする。
しかしですね、「何も言わないのがいちばん」「黙っているしかない」と思っていらっしゃるみなさんは、心のどこかで「難病奇病はさほど面識のない赤の他人がかかるものだ」と思っているのではないでしょうか。また自分自身がそのような病をえた場合、ひとりで黙って玉子酒を飲んで布団に入っているようではすまないということをイメージできていないのではないでしょうか。
大病を隠し通すことは可能か
ガンに限らずたいていの難病、奇病には通院、手術、入院がつきものだ。学生であれ勤め人であれ、地域と繋がって何らかの社会生活をしている人は治療のためにちょいちょい場を離れるため連絡する相手がいる。休みをとるなら診断書も出す。学生であれば生活制限を伝えるため担任とも話す。
入院、手術の保証人を頼む相手も必要だし、留守を頼む家族にも事情を話さなければならない。手術の同意書にサインをもらうなら病状について隠し立てはできない。だまって仕事や学校を休んで、誰にも話さずひっそり入院し、手術を受け、こっそり通院するのはなかなか難しい。
これは立場を入れ替えれば職場の同僚や部下から、上司から、受け持ったクラスの生徒から、ともに地域の役員を引き受けたご近所さんから、成人してからほとんど接点がなかった親兄弟から、息子や娘から、祖父母から、ある日とつぜん「実はがんの告知を受けた」といわれる可能性が誰にでもあるということだ。「うまいこといえないからパス」と見捨てられる関係の相手ばかりではない。*2
「実はがんで…」 「あ、そうなんですか」ですむ相手ばかりではなく、「それではお大事に」で終わる話とは限らない。
告白の目的に応える
その人があなたに病状を伝えたのはなぜなのか。
多くの場合その目的は、情けをかけてほしい、人生訓からアドバイスをえたい、特別な治療について教えてほしいというよりは、事情を理解してもらうため、闘病生活で便宜をはかってもらうためだ。不安と動揺を鎮めるための話し相手を探している人ばかりではない。
誰にも言いたくなかったけれど、言わざるを得ない状況に追い込まれた人からそのような話を聞くこともある。そういうときに必要なのはウケのいい話術ではなく、現実的な意思疎通力と常識的な礼儀作法だ。
そういう場面でことさら悲劇的で不吉な予言をしたり、現実離れした精神論や理想論を語ったり、効果が定かでない治療法をごり押ししたり、悲劇を美化したり過剰な自己責任論をぶって罪悪感を煽ったりするのは問題解決を妨げる。
山奥で交通事故に遭い、助けを呼ぼうと電話をかける。電話に出た相手が自分語りをはじめたり、自己責任だと説教をしてきたりしたらどう感じるだろう。「その話は落ち着いてから聞く。それどころじゃない」と思うんじゃないですかね。
最善でなく次善の策を目指す
今回の事でわたしも大いに気が動転し、当事者であるもちおを気落ちさせるような役に立たないことを何度もいった。そして同様の言葉を外から言われてみて「自分がもちおにいったのはこういうことだったのか」と気が付いて、大いに反省した。これはいかんよ。
わたしだって生きる気力を蘇らせる感動的な言葉やすばらしいアドバイスが言えたらいいと思う。それが出来ないなら素知らぬ顔で黙って通り過ぎる方が楽だ。失言で恥をかいたり、自分を責めたりしなくてすむもんね。
でも黙って離れるわけにいかない人が病をえることは起きる。一生そういうことが起きなかったらとても恵まれたことだよ。そんなまれな幸運に期待するよりも、先人の知恵から学んだ方がいいよ。
お見舞い上達のコツは「お見舞い上手についていくこと」と書いてあった。何事にも先立はあらまほしきことなりだよ。お見舞いの本は図書館にもあるからね。