読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

Parablog - 俺が叫びたがってるんだ。

心が叫びたがるままに綴りたい、生き方と考え方、雑記からなる随筆的な書き物など。

社員が生活残業をやめないから残業を削減できないという、その詭弁。

仕事と会社

生活残業は会社が生み出す

社員の問題だ!という声もあるとは思うけど、生活残業の多くは会社の怠慢だ。

従来型日本企業のうち、残業体質の脱却に本気で取り組んでいる会社がどれだけあるだろうか?と考えたとき、恐らくその割合は驚くべき低さを示すことになると思う。

どこかでタイトルのような議論が書かれていた記事を読んで、暗澹たる思いがした。

生活残業自体が会社の怠慢だということ

見逃しているというただ一点において、それ以上でもそれ以下でもないこと。

社員の生活残業は言い訳にならない

会社に勤める社員がどうあるかは、結局のところその環境が作っていく。

社員が生活残業をしているというなら、それは会社の歴史の中で生活残業がまかり通る企業風土を育んでしまったことが原因で、その事実は覆せない。

もし経営陣や幹部社員が、「社員が残業代のために生活残業をやめない」ことを理由として語ってしまうような会社なら、その会社は社員に原因を押し付けて改善する意思もない末期状態か、経営者としての資質に課題があるらしい、と俺は評価する。

本当にいわゆる生活残業が残業削減の阻害要因になっているとしたら、それはその対策をせずに今日まで経営を続けてきたというだけの話で、何の言い訳にもならない。

無意味化で生活残業を防止する

就労時間を評価に組み込んで、賞与に反映する制度でも敷けば解消できるはずだ。

仮に毎日定時で帰れるようになったとして、それでもかつての残業代を含めた所得が保障されるなら、好き好んで残業をしようとする社員は間違いなく激減するし、それでもダラダラと残業を続ける社員がいるなら、それも賞与の制度で対策をすればいい。

生活残業や付き合い残業を防止するなら、監視や命令での強制的な実現よりも、それ自体の意味を消滅させる方が効果が高く効率もいい上に、感情面でも軋轢を生みにくい。

その大まかな一例を簡単に説明する

就労時間と業績のバランスを人事考課によって評価して、無駄や能力不足による残業は賞与の多寡に反映すればいい。残業をすればするほど、時間を損していくことになる。

ごく単純な例示として、現状が……

残業40時間/月の社員
半期残業代:48万円、賞与:40万円、合計:88万円

という、生活残業や付き合い残業の社員ばかりだったとする。

同じだけの業績を上げながらも残業時間を20時間/月に削減したと仮定して、

残業20時間/月の社員(A)
半期残業代:24万円、賞与:64万円、合計:88万円

残業40時間/月の社員(B)
半期残業代:48万円、賞与:40万円、合計:88万円

となるような制度設計をして、支給額が妥当になるように式を落とし込んでいく。

これは時間単位の所得では社員(A)の方が高所得者という見方もできるし、同額の所得でも得られる自由な時間が遥かに多い、という見方もできる。もし同じ就労時間で高い業績を上げる社員がいれば、その場合は単に基本給で手当てをすればいいだけだ。

そうすると業績の劣る側から怨嗟の声が上がるかもしれないけど、より業績を上げた人が理不尽に我慢を強いられる会社なら、その未来はきっと暗いものになる。

会社は残業の削減を奨励して、それを業績の一部として積極的に評価する。それまで残業代として垂れ流していた労務費を賞与に充てて所得を保障すれば、社員の残業時間を削減しながら事業所の稼働コストを下げつつ、労務費全体では横ばいのままで維持できる。

その会社は機能不全を起こしていないか

こういった仕組みでの残業削減に取り組むには、就労時間と個人業績の実際を適切に評価できる評価者の配置と、そのための人事考課制度の整備が必要になる。

月次の損益計算は総務か経理が、賞与の予算は経営陣がそれぞれの時期にやっているはずだし、社員の業績評価は人事考課でやっているはずで、もし賞与での保障も実現できないというなら、それらが正常に機能していない機能不全の会社ということになる。

会社として本来機能しているはずのものがままならないなら、生活残業原因説を唱えるその前に、残業削減という遠い目標とは関係なく、早めに足元から見直した方がいい。

結局、残業削減は誰のために目指すのか?

残業を削減するという目的に絞って、日頃から頭に浮かんでいた意見を書いた。

社員が残業代を稼ぐために生活残業をすることも、残業削減の利益を経営者だけのものとしてしまう場合があることも、残業削減の実現を難しいものにしていて、残業や長時間労働が偉いという風潮が、それに輪をかける。

経営者が残業を削減したいと考えたとき、そこに社員へ還元したいという思いが込められていれば、制度改革の選択肢も広がっていくはずだ。

そんな思いはないだろうと思われている間、つまり社員が損をするような制度であり続ける限りは、むざむざ所得を減らすような残業削減に協力する社員は少ないままだ。

残業を削減できない会社は、結局はそういう経営をしているというだけの話で、タイムカードの打刻が偽りの定時になることはあっても、真の実現はない。

会社の利益を実現しながら、それを社員の利益に結びつけるのも管理職の仕事で、それができる管理職を任用するのが人事、あるいは経営陣の仕事でもあると思う。

任された者の一人として、利己的でありたくないといつも思う。

会社員を続ける限り、見失いたくないものがある。

それは、関わる全員に対して愛のある仕事をし続けていきたいという、理想だ。

うん。

そんなところだ!