今週のお題「給食」
中学と高校はお弁当だったので、私が給食を食べたのは小学校の6年間だけです。
私は、給食が大嫌いでした。
バカでかくて表面は固く中がぱさぱさの不味いコッペパンを残さずに食べられたのは、6年間でたったの一度だけでした。
私は小学生の頃、学年で一、二を争うチビで酷く痩せていたのです。
偏食で少食で食べるのも遅かった私。
だから、どの学年の担任も私に「もっと食べろ」と言いました。
担任によっては残すのを頑として許さず
「全部食べ終わるまでお昼休みに遊ばせない」という命令まで下しました。
今の学校でそれをやったら大問題でしょうが、当時では普通の事でした。
私は、昼休みに外でみんなとドッジボールとか大縄跳びがやりたいとか一切思わなかったので、休み時間が無くなるのは全然構わないのです。
けれどもうお腹が一杯で、食べられないと解っているのにひとりで教室に残されるのも苦痛でした。
午後の授業が始まれば片付ける他ないのですから、ただひたすら我慢していました。
外遊びから戻ってきた男子がわざわざ私のところに来て
「あっ、こいつまだ食ってねー」と言いに来るのが本当に憎らしかったです。
担任もいちいち残念そうな顔をして
「タンポポさん。給食をちゃんと食べないと、大きくなれませんよ」言うのでしたが、安心して下さい。
こんなに大きくなりましたよっ!
って言ってやりたい。
大きくなり過ぎました…
給食、美味しくなかったです。
美味しかったおかずを思い出せません。
米飯給食がまだ始まっていなかったので、カレーもパンで食べるのです。
とにかく、コッペパンが不味い。
ブドウパンなんか、死ぬほど不味い。
巨大な不味いパンを、これまた不味くて体に悪そうなマーガリンで食べろというのです。
病気で休むと、近くに住む同級生がパンを届けてくれるのですが、有り難迷惑でした。
小学一年生の秋の日。
3、4時間目の授業を無くし、生徒は全員校庭で列を作らされました。
冬の教室で使う薪ストーブの薪を、手渡しリレーで運んで校舎の側に積み上げる作業をしたのです。
薪は太くて、両腕でしっかり抱えても子供にはかなり重いものでした。
2時間勉強しなくていいので、みんな嬉々として作業を行いました。
その後の給食時間の事です。
メニューは、コッペパンと、キュウリと人参と玉ねぎとなぜか缶詰めみかんの入ったポテトサラダと何かでした。
担任は中年でいつも髪をお団子に結い、眼鏡をかけた厳しい女教師でした。
その担任が私達と一緒に給食を食べ、ニコニコしながら言ったのです。
「今日の給食は、いつもよりもずっと美味しいでしょう?」
私はコッペパンだけでなく、ポテトサラダも大嫌いでしたから
(えっ?いつもと同じだけど…)
と、自分のポテトサラダをまじまじと眺めました。
「どうして今日の給食が美味しいか、解る人は手を挙げて」
皆の手がさっと挙がり、クラスで一番利発な女子が指されました。
「一所懸命に、働いた後だからです」
「そうです!」
担任は、満面の笑みでその子を讃えました。
私は下を向いていました。
いつもと同じように給食が不味い私は、働かなかったと思われるのだろう。
私だって一所懸命、頑張ったのに…
翌年には校舎が新しくなり、薪ストーブはボイラーに変わったので
薪渡しリレーをしたのはその一度きりです。
給食と聞くと、あの日の山盛りポテトサラダが今でも鮮明に浮かんできます。
東北の田舎の、昔々の思い出。
どっとはれぇ
今は好き嫌いがなくなり、ブドウパンもポテトサラダも大好きです。