2016-01-25
「逆差別」なんて存在しようがないと、ぼくは思うけどね
ぼく、前に「少数派は多数派を差別できるのか」について書いたような記憶があるんですが
どのブログで書いたか定かでなくて、自分で書いたその内容も思い出せないんですけど
「少数派は多数派を差別することはできない」という結論に至ったことだけは覚えてるんです
だから「逆差別」も存在しえない…と思ってるんですけど
多数派(あるいは、強者)に属する者からは、絶えず「こんなの逆差別だ!」と声が聞こえてきますね…↓
アカデミー賞ボイコットで白人女優が「これは逆差別」(Movie Walker 1月25日)
第88回アカデミー賞主演女優賞にノミネートされたシャーロット・ランプリングが、黒人監督や黒人俳優によるアカデミー賞のボイコットは「白人に対するレイシズム」と発言して波紋を広げている。
英紙ガーディアンのサイトによれば、シャーロットはフランスのラジオ局Europe1のインタビューで、授賞式へのボイコットを呼びかけている人々の怒りが理解できないと語った。
「本当のことは誰にもわからなけど、たぶん黒人の俳優たちは最終ノミネートに残るほどいい演技はしていないんでしょう」「どうして人間を分類するの?今日では、すべての人々がほぼ受け入れられている。人々はいつだって『彼はあまりハンサムじゃない』、『彼はあまりに黒人すぎる』、『彼はあまりに白人すぎる』というようなことを言う。『あなたはあまりにも…』という人々は常に存在する。なのに、それを考慮して、沢山の少数派が全ての場所にいるべきだと考えなければならないの?」とシャーロットは話したと同紙が伝えている。
この発言を受け、米大統領選への出馬を表明したヒラリー・クリントンの娘、チェルシーが「ランプリングのコメントは言語同断で無知で侮辱的」とツイートしたほか、「賞の前なのに愚かな発言を」「ランプリングが主演女優賞を獲っても誰も拍手しないだろう」「悪いけど、この件ではランプリングに賛成」などのつぶやきでツイッターが大騒ぎになった。
一方、英国のベテラン俳優マイケル・ケインは、「黒人だからという理由で俳優に票を投じるのはおかしい」とシャーロットに賛同する発言を行った。
この騒動を受けてシャーロットは「今週、ラジオ局での私のコメントが誤解されてしまったのは残念です。私はただ、全ての演技が公平に審査されるべきだと言いたかったのです」という声明を発表している。
これは、2年連続で米アカデミー賞の演技部門のノミネートが「白人だけ」だったことに
黒人の映画監督であるスパイク・リーが抗議した…という出来事を受けての発言ですけど
「白人ばかりのノミネート」によって、晴れて主演女優賞の候補となったこの女優は、
スパイク・リーたちの抗議を「白人に対するレイシズム」と言うたんですね
「白人に対するレイシズム」…
ぼく、そんなもんが存在するとは思えないんですけど、この点に関して言うと
例えば、ぼくが日頃感じてるのは「差別心をもつ者への敵意」でありまして
それは何も「白人への敵意」ではないんです
(そやかて、差別心のない(白)人を憎む理由なんか、ありませんがな…)
そして、スパイク・リーたちの抗議も「白人に対するレイシズム」ではなく
「差別だと感じるコトに対する抗議」であろうかと思いますけど
少数派(あるいは差別を受ける側の弱者)から「差別への抗議」の声が上がると
こういう「反撃」をする人が必ず…と言っていいほど出てきて
その秘めたる差別心を明らかにしてくれます
米アカデミー賞の「偏りノミネート」に関しては、
白人が94%…というアカデミー会員の「白人偏重」が度を過ぎてる…ことから導かれる
残念な結果であると思いますけど、素朴に考えて、そこから導かれるのは
「白人は白人を選びたがる」という残念な傾向…でありまして
それが黒人からみて「差別だ」と感じる…という単純な話なのではないでしょうか
(…っていうか、そういう「肩入れ心情」こそが「差別」ですよね…)
でも、「肩入れ心情」が差別だ…とするなら、黒人は黒人に肩入れするだろう…
それは「白人(…というか、非黒人)への逆差別」ではないのか…と考える人もいるかも知れませんが
少数派で社会的には弱い立場にある黒人が黒人に肩入れしたところで
事実上、白人が不利益を被る…ということは、ほとんどないわけですので
やはり現実的には、「少数者が多数者を差別する(弱者が強者を差別する)」ことは不可能であろうかと思います
だからぼくは、この女優の言うてることは、まったく的はずれ…であるし
この人がなぜにスパイク・リーたちの抗議に「反発」してるのか…を考えると
「弱者だと考えてる者が声を上げることに不快感を覚える」という、
誠に残念な…というか、それ自体が差別心を証明してるような話であろうかと思います