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紺色のひと

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2015/12/31 (Thu)

[]2015年、旅立ちのソフトパレード

2015年、僕はいわゆる人生の転換期を迎えた。新卒から9年間勤めた会社を辞め、やまがた県に移住する決断をしたのがそれだ。

心づもりは2014年11月頃の時点でできていて、それを年が明けた1月に上司に伝えたところから旅立ちが始まる。

これを書いているのは2016年1月半ばだけれど、大きな出来事があったということもあり、遅ればせながら一年を振り返って記録しておく。



◆一月◆

仕事は相変わらず忙しいが、年末までに辞める決意をしていたこともあり、精神的にはだいぶ落ち着いていたように思う。働き方が妻に心配されるレベルだったという自覚はなかった。

上司とさらに上司に退職と移住の件を報告する。引き止められたが、前向きな理由であることと意志を鑑み、思いのほかすんなりと受け入れてもらった印象。

4月からの生活について、縁のあるひとに相談をしたりし始める。


◆二月◆

辞める決意をしたといっても仕事が楽になるわけではなく、毎年の年度末の業務、学会的な場での発表、後輩への引継ぎ準備などに追われる。

読者を意識するつもりもないが、自分でも整理の意味を込め、そんな宛名のない手紙:やまがた県に移住します - 紺色のひとをまとめる。

暇を見つけて熊森関連記事もちょっとだけ書く。:熊森協会の言う『餌付け』とは一体なんなのだろうか - 紺色のひと


妻と娘を連れ、一度やまがたに。すむところの下見をする。



◆三月◆

引越しの手配などを進め、3月31日に会社を退職する。有給消化などをする余裕はなく、ぎりぎりまで仕事だった。

今日までの人生とこれから - 紺色のひと

ボーナス支給日が4/15だったが、もらえず終い。



◆四月◆

4月上旬に引越し。

空き家になって3年程が経っていた家だったので、まずは片付けから。最初の夜だけ市内で宿をとる。10年程前にリフォームした部分があり、エアコンや据付の灯油ストーブ、IHなどは無事に稼動を確認。水周りは風呂の温水器の修繕が必要だったとのことで、業者さんを入れてもらう。

妻はソメイヨシノを珍しがっている。僕も4月の桜は久しぶりで、みんなで新しい土地にこれてよかった、と思った。

娘は敷地内の池でイモリを見、おおはしゃぎ。両生類が好きな妻も嬉しそうだった。

西の・光が・強い・ところ - 紺色のひと


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仕事に出始める。拘束時間が以前よりずっと短いため、片付けや掃除などを進める。



◆五月◆

引っ越してひと月も経たないうちに、弟が家族を連れて遊びに来る。弟は職場で「兄が脱サラして田舎でスローライフを始めたので」と悪意に満ちた言葉選びをするが、字面だけ追うと間違っていないことに愕然とする。

この頃から、facebook経由でブログを書き始める。生活の記録のつもりではあったが、そちらも含め、思考や記録としてのアウトプットにあまり積極的でなくなる。

月末には、ゆーくぼ先生 id:yu-kubo 、山形ミクラスさん id:yamagatamyclus 、てつるさん id:tetzl 、デムパさん id:Poisonous_Radio がご家族連れで遊びに来る。

1999年の夏休み - デムパの日記  あるいは「いざ言問はむ都鳥」普及委員会

海,山,川と加茂水族館 - cloud9science

野郎と鈍感とゆかいな仲間たち、やまがた水族館詣で(仮)とTLの反応 - Togetterまとめ

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◆六月◆

庭にホタルが飛んで興奮する。

からだの経験値を稼ごう - 紺色のひと


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◆七月◆

あたたかい雨の夜、運転していると道路にヒキガエルを発見し、妻が喜ぶだろうとお持ち帰りする。その後秋まで、彼は「タライ・ガマ」通称がまくんと呼ばれ、我が家に客として迎え入れられたという。

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家の畑ではナスやトマトが大豊作であり、たまにはじける。



◆八月◆

夏到来。川で泳いだりする。


学生の頃、一緒に弾き語りをしていた当時の相方(言葉通り)が同じ町にいるので、当時のユニット「甲斐性無」を再結成、「ヒバリズ」として再出発を誓う。本格始動は来年度からの予定。

ヒバリズのテーマにかえて - 紺色のひと


月末、念願だった鹿児島行き。

2015年夏休み、はじめての九州南薩紀行 - 紺色のひと

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◆九月◆

某野郎と秘密裏にデート。何気なく予約したところが個室の高級っぽい魚料理の店で、二人して「…なんだこの魚」「…うまい」などとささやき合う。

月末、奈良へ。カメラとレンズについて深く考えたり、webを介した友人との出会いと付き合いについて考えたりする。こういう旅行のとき、手配はほとんど妻に任せてしまっているのだけれど、僕がひとりなら絶対に選ばないようなオシャレ宿などを見つけてきて「ここ来てみたかったんだー」と嬉しそうに言うので、このひとと一緒に旅をするのはなんて素晴らしいんだろうと思う。

はるさん @haru_hajimari 、なおきちさん @naokororin2 、パラ子さんら @alchmistonpuku とお会いする。

仏像の写真を見た娘が「ウルトラマンだ!」と叫び、東大寺では「大魔神だね!」と叫ぶ。嬉しいがちょっと恥ずかしい。

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◆十月◆

九月に父方の祖母が亡くなり、月頭、札幌へ。通夜と葬式に出る。はじめての寝ずの番。6年前に友人の葬儀に出て以来、というよりも親族の葬儀は大人になってからはじめてで、あれこれと新鮮だった。妙に明るい日差しで、暗いところのない雰囲気だった。

祖母はこの数年は老人施設暮らしで、週に一度父と母が顔を出していた。僕も結婚したこと、子供が産まれたこと、とそのたびに訪問してはいたが、認知症が進んでいたこともあり、どこまで僕のことを孫とわかっていたのかはわからない。それでも結婚披露宴に出てくれたこと、娘が産まれたあとに連れていったら「おっことしたら怖いから抱けないよ」と言っていたのに勧められて抱くと本当に嬉しそうだったこと、思い出すことは多い。

子供の頃から隣に住んでいた割にきちんと話をした記憶はなくて、大人になってから「うちのルーツはね…」という話を聞いたことのほうが思い出に残っている。語るひとがいなくなる前に、きちんと文章で遺しておきたい。本当はもっといろいろと話を聞いたうえで、生まれ故郷の樺太に行ってみたかったのだけれど。

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僕の兄弟、従兄弟らは年が近く、久しぶりに集まったので笑いながら寝ずの番をする。

途中、僕の父と伯父がアイドル談義をはじめ、「AKBオタvsモーオタ」のような争いが繰り広げられ、息子世代は爆笑しながらそれを煽った。



謡をやっていた祖母のお仲間が、告別式でお別れにと一曲。多分これ。

思えば仮の宿。思えば仮の宿に。心とむなと人をだに。諫めし我なり。

これまでなりや帰るとて。即ち普賢菩薩と現れ船は白象となりつつ。

光と共に白妙の白雲にうち乗りて西の空に。

行き給ふありがたくぞ覚ゆるありがたくこそは覚ゆれ。

「江口」より


ずっと泣くこともなかったけれど、焼き場を出て寺に向かうバスに乗っていたとき、ソワカちゃんの「はすのうてな」を聞き、涙が流れた。以降、やまがたに帰るまでずっと、この曲を聞いていた。

D

この先 心の灯明となるのは

あの面影と遺された言葉

光輝く蓮の臺(うてな)に乗って

私をいつも見守ってるよ




がんじろうさん アグリサイエンティストが行く がやまがたを訪問されるのに合わせ、内陸へ。山形ミクラスさんに会いに行ったり、仙台まで足を伸ばしてはじめてのIKEA、はじめてのシロノワール体験をしたりする。

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◆十一月◆

娘の七五三。札幌に行き、同い年の親戚の子と一緒に写真撮影など。相変わらずかわいい。絶対美人になる。

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高校の友人の結婚披露宴があり、また札幌へ。しばらく帰らないつもりでいたのに、今年だけで何回新千歳空港に降りたのだろう。


◆十二月◆

とにかく雪が少ないらしい。ストーブの煙突を繋げて設置したり、薪を割ったり、灯油ストーブを新調したりするが、そこまで深刻な寒さにはならない。……とはいえ室内は寒く、札幌に居るころよりも厚着している。

今年から狩猟者登録をしたので、空気銃を持って川やため池を回る。猟友会の方からお話を聞く機会は多いが、いまだ一緒には出られていない。1月中旬現在、成果ゼロ。とにかく安全第一で、撃てずとも楽しかったと言えるような時間にするよう努力する。

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総括

とにかく変化の多い一年だった。ここ庄内の言葉や気候になんとか慣れようとする一方、ワークライフバランスの充足をはかるべく家のことに取り組もうと心がけた。妻が妊娠し、体調が芳しくないのが気がかり。

夏以降、自分の生活や言葉をアウトプットすることへの欲求が薄れてしまい、記録すら残していないものもあるのだが、来年は今年よりも生活基盤が安定しているはずなので、そのあたり意識しながら暮らしたい。何より、順調にいけば新生児を迎えての4人+一匹家族になるわけで、独りよがりにならないようにしたい。


このところ考えていることがある。それは「どうにかなる」という言葉についてだ。

今までも、ここは大事なところだぞ、と思う部分について、ふと「なんとかなる、上手い具合に物事が運ぶさ」という根拠のない確信がやってくることがあって、それは今のところそう外れてはいない。結果オーライなものだけ覚えているというわけではなく、こんなに上手く行っていいのか、と自分でも驚くようなことがたまにある。今は、特に仕事・収入の面でままならないことがあるが、誠実に仕事をし、暮らしていれば結構なんとかなるのではないか、という実感が生まれつつもある。「結果的になんとかなる」と奢らず、色々と真面目に取り組むことが最終的に良い報せを持ってくる、と信じるしかないのかな、と半ば諦めつつ、僕はこの確信とつきあってゆくのだと思う。

2016年の4月には、移住後一年の振り返りをもう少し明るい気持ちでできたらいいな、と思いつつ、振り返りの記事を締めることとする。



年末のエントリが「ソフトパレード」なのは、藤代冥砂さんの写真集「もう、家に帰ろう」の言葉が元になっている。

私たちのソフトパレードは続いてゆく。


生き延びるという、自分にとってのキーワードは、ここ数年で「遡上:遡るように生きる」に言葉を変えつつある。家族を連れてのソフトパレード、先頭を切るのもしんがりを務めるのも僕であって、できるものなら楽しくいきたいものさ。

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