【コラム】税金泥棒の暴力デモ隊、韓国社会はいつまで放置するのか

【コラム】税金泥棒の暴力デモ隊、韓国社会はいつまで放置するのか

 盧泰愚(ノ・テウ)政権(1987-92)末期のころ、記者は当時の左翼系学生運動の活動家たちと会話を交わす機会が数多くあった。まず彼らは国民による直接選挙で当選した盧泰愚大統領の正統性を認めようとしなかった。盧泰愚大統領は元韓国軍将校であるため、彼らにとっては、たとえ選挙で選ばれたとしても軍事政権であり、軍事政権は妥協すべき相手ではなく、打倒すべき相手だったのだ。デモはどのような規模であってもとにかく街頭で行われ、学生の活動家たちが火炎瓶や鉄パイプを使うのはごく普通だった。打倒すべき相手が定める「ポリスライン」はもちろん、法律の範囲内でデモを行うことも彼らにとっては無意味だった。

 それでも記者もそうだったが、デモに参加する普通の学生たちの多くは心のどこかに疑問を感じていた。例えば「打倒すべきは相手は政府のはずだが、なぜ交番を破壊し警察官に火炎瓶を投げ付けるのか」と他の学生に尋ねた。すると彼は「警察はファッショの犬だ。あいつらに対する暴力はファッショ政権に抵抗するのと同じだ」と答えた。普通のあまり勉強していない学生の答えはこの程度だったが、共産主義理論を少しかじった学生は「資本主義国家における警察や軍隊は『抑圧のための国家機関』だから、こういったものに対抗するには暴力もやむを得ない」と語った。これはフランスのある左翼系哲学者の説明だが、暴力に対する罪の意識を弱める根拠として当時はこの説明が受け入れられていた。あのころの過激な学生運動にはこのようにそれなりの理論的裏付けもあった。もちろん中には暴力革命によって政府を打倒する「決定的瞬間」に備えるため、主体思想に染まって智異山の山奥で訓練に励む革命家気取りの超過激な学生も中にはいた。

 記者の場合警察に対する考え方が変わったのは、何か思想的な転換や覚醒があったためではない。就職して給与を受け取るたびに天引きされる税金の額を、給与明細書によってしっかりと確認できるようになってからだった。財政あるいは政府予算は税金で賄われるが、同じく税金によって運営される警察は民衆を抑圧するためのものと考えるか、あるいは自分がその料金を支払っているサービス機関と考えるべきか。警察が毎月われわれの支払う税金で運営されているのは疑いようのない事実だ。このことを考えたとき、自分が納税者であるという現実に思いをはせれば、自然と後者の方が正しく感じられるようになった。

政治部=鄭佑相(チョン・ウサン)次長
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