Jリーグのガンバ大阪の新しいスタジアム「市立吹田サッカースタジアム」が10月10日、大阪府吹田市に竣工した。行政の資金に頼らず、民間からの寄付などで建った全国でもめずらしいモデル。大阪にゆかりある人々のチーム力によって、夢の器は完成へとこぎ着けた。
2009年に構想が浮かんでから、行政の規制を一つ一つクリアした。市の条例に抵触しないよう調整する。国税局の許可を得て市民の寄付金を税控除とする。環境への影響は小さいと納得させる書類も必要だった。市役所にお百度を踏んで駐車券がたまり、ガンバ大阪・スタジアム建設担当主任の本間智美(34)は、いっそ市に自分のデスクを置きたくなった。
13年冬に着工しても「お金のことを考えると心配で」。資金が30億円近く足りない。個人の善意だけでは到底追いつかない。
「稼ぎ手」には、ガンバ社長の野呂輝久(61)がなった。親会社パナソニックから出向の副社長だった頃からプロジェクトに関わる。同年1月に社長に昇格した。老朽化した万博競技場に倍する4万人収容の新スタジアムという夢は不退転の決意に変わった。
720社を回り、先々で「募金を」とあいさつして「募金のおじさん」とからかわれた。「いい話ですねえ」とみな言うが、それでおしまい。浄財で構想を形にするのは事業部育ちの野呂にも至難だった。
苦難は続く。同年夏、戦中の弾薬庫跡とみられる地下空洞が予定地に見つかり頓挫の危機に。この年のガンバは2部で過ごし、収入は1部の時より5億円減った。ある朝、野呂は光り輝くスタジアムの夢を見る。目覚めればすべて幻。「10年に感じる1年だった」
苦しいときこそと、協賛金を弾んでくれたスポンサーもある。最後は選手たちが「サポーター」となった。14年に1部復帰し国内3冠を達成すると支援に弾みがつき、目標の総工費140億円に手が届く。
ガンバが目いっぱい背伸びしたこの額は、施工主の竹中工務店が身を削るように切り詰めたものだった。東京の新国立競技場は1550億円。その1割未満、業界の常識のほぼ半額で請け負ったことになる。
低予算以上に22カ月という短い工期が手ごわかった。手続きと空洞発見による着工の遅れが響いていたが、16年シーズンからの使用は動かせない。総括作業所長として300人の職人を束ねた中野達男(60)は、主要部材を工場で先に造り現場で組み立てることで大胆な工期短縮を図る。
正念場はいつだったか。中野は「毎日がヤマ場。山の頂上を歩き続けた気分」。あの手この手で出費を抑制。人目につかない部分は塗装しない。外周階段の鉄骨も簡素化。屋根の鉄骨を4割減らした。華美は捨てても機能性も安全性も落とさなかった自負がある。「すっぴん美人」で「見せる建物でなくていいんだ」。
「設計案を3社のコンペで競ったからこそ、これだけ低予算にできた」とはコンサルタントの安井建築設計事務所常務執行役員の水川尚彦(63)。水川や野呂の意見でゴール裏の席の形は当初案から変えた。「同時進行で修正していく。士気の高い現場だった」(水川)。現場の小さなミスを職員たちが注意し合った。「少年が小遣いを(寄付に)投じたかもしれないんだぞっ」という声とともに。
ガンバの譲渡でスタジアムの所有者は市になった。だが「作者」は違う。工期も工費も異例、喜捨で工費の多くを賄ったのも異例。目覚めても消えない「みんなのスタジアム」が万博の森にある。=敬称略
(大阪・運動担当 岸名章友)
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