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長崎 で「パグウォッシュ会議」始まる
11月1日 19時31分

長崎 で「パグウォッシュ会議」始まる
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世界各国の科学者が集まって核兵器廃絶について話し合う「パグウォッシュ会議」が、長崎市で1日から始まり、被爆者医療に長年携わってきた医師が、被爆から70年たった今でも健康被害が続いているとして核廃絶を訴えました
「パグウォッシュ会議」は、物理学者のアインシュタインらが核廃絶を訴える宣言を出したことをきっかけに、1957年に始まった会議で、被爆から70年のことし、初めて被爆地・長崎で開かれています。
会議は36か国からおよそ170人の科学者らが参加して、1日午後から始まり、全体会合で核兵器の非人道性について意見を交わしました。
このうち、長年、被爆者医療に携わってきた日赤長崎原爆病院の朝長万左男名誉院長は、被爆から70年たっても被爆者が新たに白血病やがんなどになる割合は高いとする調査結果を示し、健康への不安から悩みを抱える人も多いと指摘しました。そのうえで朝長名誉院長は、原爆による健康被害は今も続いているとして、「核兵器は疫病のようなもので、大勢の悲惨な被害を生み出してきた。被害を無くすには元を断つしかない」と述べ、改めて核廃絶を訴えました。
会議に出席したインドの物理学者の男性は、「被爆者の中で、がんなどになる人がどう増えていくのかよく分かった」などと話していました。
「パグウォッシュ会議」は、1日から5日間開かれ、最終日には、核廃絶に向けたメッセージ、「長崎宣言」を発表することにしています。

参加者が被爆遺構を見学

1日から長崎市で始まったパグウォッシュ会議に参加する科学者たちは、会議を前に原爆で多くの人たちが犠牲になった長崎市の小学校を訪れ、原爆で焦げた当時の校舎を見学しました。
長崎市にある城山小学校の前身、城山国民学校では、原爆で鉄筋コンクリートの校舎が破壊され、校内にいた教師など138人が亡くなりました。1日は、パグウォッシュ会議の参加者およそ30人が会議を前に城山小学校を訪れ、現在は市の平和祈念館として使われている被爆した当時の校舎を見学しました。見学にあたり、パグウォッシュ会議のジャヤンタ・ダナパラ会長は、「校舎は、子どもも老人も関係なく無差別に命を奪う核兵器の残虐さの記憶の象徴で、保存に当たってきた長崎市民の努力に敬意を表したい」とあいさつしました。続いて参加者たちは当時の校舎の中で、国民学校の2年生だった池田松義さん(77)らの説明を聞きながら、黒く焦げた壁や被爆直後の様子を記録した写真などを見て回りました。池田さんは、両親など家族6人を原爆で失ったことを話し、「この建物に残されている被爆の記憶を、ありのままに感じてください」と呼びかけていました。見学のあと、イスラエルからの参加者は、「原爆の爪痕を実際に目の当たりにして、われわれが議論する課題の重要性が改めて感じられた」と語っていました。

パグウォッシュ会議とは

「パグウォッシュ会議」は、戦争と平和に関する問題を科学者の立場から議論しようと、冷戦下の1955年、哲学者のラッセルと物理学者のアインシュタインが核兵器廃絶を訴える宣言を出したことをきっかけに、2年後の1957年にカナダの漁村、パグウォッシュで初めて開かれました。
初めての会議には、広島や長崎での原爆による甚大な被害を知った科学者が、原爆の開発に関与した反省や、急速に進む核兵器開発で人類が存続できなくなるかもしれないとの危機感の下集まり、日本人で初めてノーベル賞を受賞した物理学者の湯川秀樹博士や、原爆の開発に加わったイギリスの物理学者も含めて22人が出席しました。
その後、冷戦下でも国の垣根を超えて議論が交わされ、組織としてのパグウォッシュ会議が、「国際政治の中での核兵器の役割を減少させた」などとして、1995年ノーベル平和賞を受賞しました。パグウォッシュ会議は、日本では、1995年と2005年に広島市で開かれており、被爆から70年の節目のことし、初めて長崎市で開かれています。

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