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田中紘一院長辞職?!神戸の灯を消すな!

昨年11月に開院した民間病院「神戸国際フロンティアメディカルセンター(KIFMEC)」は22日、田中紘一院長(京都大名誉教授)の院長退任を、月内に開く理事会にはかることを明らかにしたとの記事を目にした。中国に出張中で気づかなかったが、個人的には非常に残念だ。

 

これは肝移植学会が退任を強いたことに等しい。病院の体制や評価委員会の不備というならば、結果を問うのではなく、事前にこのセンターに待ったをかけるか、世界の第一人者である田中院長を支援すべく周りが協力しなかったのか。後出しじゃんけんのように、医療行為の結果を批判することも非常に簡単だ。このセンターの体制は明らかになっていたはずであるので、勝てば官軍で何も言わないつもりだったが、負ければ賊軍のように非難することが、医療の姿として健全であるとは思えない。

 

学会が定めた標準治療に沿っていないとのことだが、健康な人から肝臓を一部切り取って移植することは、本来、世界的な標準とは必ずしも言えないはずだ。脳死移植が進まない日本の特殊事情の中で、苦肉の策として生まれたのが生体肝移植だ。当初は邪道だと非難した外科医がたくさんいたが、本気で患者さんを救いたい思いの田中先生が、非難を浴びながら確立した経緯がある。脳死移植の壁を突き崩すことができなかった、多くの移植を目指していた医師に比べれば、はるかに強い患者さんを救いたいという信念を持った医師である。

 

病腎移植問題が話題になった際にも、がんのリスクが高いから邪道だと「多くのがんの知識に乏しい」移植医が非難を浴びせた。腎臓がんで摘出された腎臓から、がんの部分を切除して移植することは、標準的でなく、がんのリスクが高いのに無謀だと言って非難した。メディアは、問題になった患者とドナーが金銭授受をしていたことに、万波医師が絡んでいるとの偏見の元に、集中砲火を浴びせた。結局は、情緒的な報道に終始したと言える。この時も、患者さんの受ける利益と起こるかもしれない不利益の科学的議論はほとんどなかった。

 

腎透析を受けている患者は30万人を超え、1週間に3回の透析を受けなければ命がつなげない。都会の交通機関も医療機関も整備された患者さんでも週3回の透析は負担だ。交通機関のアクセスの悪いところに住んでいる患者さんにとっては透析を受けることで1日が終わってしまう。この患者さんたちがリスクを納得した上で、病腎移植を実施することを悪と決めつけるのは、「健康な人間の標準的価値観」と「リスクを取りたくない医師集団の理屈」を押し付けているだけだと思う。日本という国は、自分の判断でリスクを取ることさえ認めない集団主義社会なのか?

 

「患者、ドナー(臓器提供者)、家族が一致して治療を希望しても移植手術に応じない場合がある」と語っていた移植医のコメントもあったが、進行がん患者や家族が不満を抱えている理由に通ずるものがある。100%の確率の死と1%の生存の可能性、日本の進行がん患者や家族の大半は、自分の意思でリスクを覚悟しても、1%の生きる可能性を追い求める権利が確保されていない。

 

標準治療法を確立するのは重要だが、その枠を超えて、今は治癒できない患者さんに希望を与え、笑顔を取り戻すには挑戦しかない。「リスクを冒しても自分が犠牲になっても」と考える患者や家族の負託に応えて、患者さんを何とか助けたいという医師が生きる可能性を提供する覚悟が失われれば、日本から新しいものは生まれてこない。

 

標準療法を守りたい医師、標準療法を受けたい患者や家族はそれを受ければいいと思う。しかし、それ以上を求めている患者や家族に、標準療法を超えようとする医師が寄り添える、そんな社会であることを願いたい。もちろん、科学的なk根拠と検証は不可欠だ。

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