現実と向き合う、という言葉に影響を受けて、少し現実と向き合ってみた。
自分の欲求について書きだしてみたのだけれど、もちろんそれは自分の欲求であることは確かなのだけれども、
なんだか、こう、みればみるほど、考えれば考えるほど、実現可能性があまりにも未知数すぎるので、
先が見えなさすぎてわけがわからなくなっているというのもあるのだけれど、なんだか、
自分の欲求と向き合ってみて、本当に嫌な気分になった。
嫌というのは、叶わなさそうで悲しい、辛いという気分を総称して、とのことなんだろうと思う。
だけど、それをみて本当に嫌な気分にもなった。
欲求と向き合うべきなんだろうと思うけれど、それはあくまで明日以降のことであって、
今の自分は、少なくとも楽しい気分でいたいのだ。嫌な気分や辛い気分ではいたくない。
そこで、自分なりに考えてみた。
多分、なるべく楽しい気分でいながら、現実と向き合っていければいいのだろうと思う。
それができればこんな苦しい思いもしないんだろうけど。
ここまで書いていてわかったけれど、自分は「現実と向き合う」という言葉と、あまりに
真面目に向き合いすぎていると思う。
別にこの言葉に「24時間現実と向き合い、現実的な解決策を探れ」とは書いていない。
だけど、僕は「現実と向き合え」という言葉を見るたびに、24時間現実と向き合ってしまう。
向き合うべきことが多すぎて、解決策が見つからなさすぎて、結局解決できず仕舞い。
そうして、余計に不安と不満を募らせる。自分の感情を引っ掻き回してばかり。
いい加減、そんな事やめるべきだと思う。
あまりに真面目に受け止めすぎていると思う。
いい加減こんな事やめたいよ。