「パーンと音の後に」ヘリ急降下、不時着水後すぐに頭の上まで浸水し…ベルトも外せず「もうだめだ」と
完了しました
3人死亡の壱岐沖ヘリ事故1年
長崎県・壱岐島沖で昨年4月、民間の医療搬送用ヘリコプターが不時着水し、医師ら3人が死亡した事故で、搭乗していた福岡和白病院(福岡市東区)看護師の当時の緊迫した状況が、同病院による医療系学会での報告で明らかになった。看護師は「救命胴衣を探すこともできなかった」「だめだと思った」などと話していたという。事故は6日、発生から1年となる。(中村直人)
生還した看護師証言「救命胴衣を探すこともできなかった」
「パーンと音がした後に機体が急降下し、右回転を始め、動くに動けない状況だった」。ヘリ運用に携わっていた同病院医師の聞き取りに対し、看護師は不時着水前の状況をそう説明したという。
運輸安全委員会によると、ヘリは「エス・ジー・シー佐賀航空」(佐賀市)が運航。昨年4月6日午後1時30分、患者ら計6人を乗せて、対馬空港(長崎県対馬市)を出発した。同病院に向かう途中、同47分頃、海上で不時着水した。その際、横転して機体のほとんどが水没状態になった。
学会での報告によると、看護師は機体の着水時について、衝撃で窓が割れ、すぐに頭の上まで浸水したと振り返った。救命胴衣を常時着用するルールはなく、どこにあるかを瞬間的に思い出せなかった。シートベルトが取り外せず、「もうこれだめだ」と思ったが、もう1度試みて外すことができた。
看護師席の後方にあった「空気だまり」で息を継ぎ、「少し落ち着くことができた」という。機体の最後部に向かって泳ぎ、観音開きの扉の窓を割ろうとたたいた。先に機体から脱出していた機長と整備士に気づいてもらえ、救出された、としている。
看護師は「(水中で)全然視界が利かなくて(患者らの状況を)確認できなかった。患者さんもドクターも機体の中に残されているのは分かっていたが、どうしようもなく、(ヘリの)上から声を掛けるしかできなかった」という趣旨の話をしたという。同乗していた医師と患者、付き添いの家族の計3人は死亡した。
1
2