東日本大震災翌日ボランティアを計画中に殺害された女性…「自分の経験が誰かの参考になるのなら」父親が被害者支援を訴え60回超講演、震災忌ごとに心揺らぐ
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東日本大震災の翌日、京都市の薬局に勤務していた36歳の女性が殺害される事件があった。被災地へ薬を届けるボランティアに向かおうとしていた矢先だった。12日で事件から15年。女性の父親は77歳となった今も、「娘の生きた証しを残したい」と全国で講演を続けている。(京都総局 清水美穂)
変わり果てた姿
2011年3月12日午前2時、徳島市の
予定を取りやめると返信すると、「やれやれ安心しました。こちらは通常勤務です」と返ってきた。これが最後のやりとりとなった。
翌13日、親族を通じて京都府警川端署から連絡があり、駆けつけると、千鶴さんが部下の男(当時30歳)に職場で刺殺され、男が殺人容疑で緊急逮捕されたと告げられた。男は「世の中が嫌になって誰かを殺そうと思った。(千鶴さんに)恨みがあったわけではない」と供述したという。
清家さんは遺体と対面し、変わり果てた姿に現実と思えず、涙も出なかった。
千鶴さんは「薬を作って人の役に立ちたい」と京都薬科大に進学。卒業後は薬剤師として働き、同僚と結婚した。東北に夫の友人がいて、震災に心を痛め、夫婦で薬を集めてボランティアに行く計画を立てていたという。
涙見せず
男は12年3月、京都地裁で無期懲役の判決を受けた。清家さんは極刑を望み、法廷で公判を見届けたが、「千鶴の命は被告より軽いのか」とむなしさが募った。
転機は同6月。徳島県警から依頼され、警察学校で講演を行った。「自分の経験が誰かの参考になるのなら」と深く考えずに引き受けた。その後も、各地の警察署や裁判所、刑務所などから頼まれた。
講演では、千鶴さんとの思い出や、亡くなる直前のやり取り、事件後の苦しみなどを伝える。家族がショックで体調を崩して回復まで数年かかったことも打ち明け、被害者支援の大切さを訴える。
悲しみや怒り、悔いなどがないまぜになった感情を少しずつ整理したといい、講演中に涙は見せず、落ち着いた様子で語る。その数は60回を超えた。
3年前に川端署で副署長として講演を聴いた仲川直美さん(60)は「被害者への支援を広げようとする使命感が伝わってきた」と振り返る。鉄道警察隊長を務める今も、痴漢や盗撮が起きた際、被害者の立場で考えるよう部下に指導しているという。
一度も断ったことはない
清家さんは、千鶴さんが高校まで使っていた勉強部屋をそのままにし、遺骨も自宅に置いている。悲しくなるだけだと、家族とは事件の話をしない。
講演の度、つらい経験を思い起こさないといけないが、一度も依頼を断ったことはない。いつの頃からか、講演を通じて事件を知ってもらえることが「千鶴が生きた証し」と考えるようになったからだ。
毎年、東日本大震災のニュースが報じられると、事件当時を思い出し、「整理した」はずの心が揺らぐ。それでも、体力の続く限り、講演を続けていく気持ちは変わらない。「娘が私に語り続ける思いを生み出してくれている」