米軍機からの銃痕残る伊勢大橋、老朽化で解体へ…地元「一部でも後世に残せないか」
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夏の夜空に、大輪の花が咲いた。7月下旬、三重県桑名市内を流れる揖斐川河畔で花火大会が開かれ、今年も浴衣姿の男女でにぎわった。花火が打ち上がるたび、川を横切る伊勢大橋(全長1・1キロ・メートル)がライトアップされ、幻想的な雰囲気を醸し出した。この橋は完成から90年目を迎えた地元のシンボルだが、戦時中に受けた多数の機銃の痕に気づく人は、ほとんどいなかった。(岩下亮)
東洋一
1934年5月、伊勢大橋が完成した。15のアーチが連なる姿は壮観で、当時は「東洋一」の鋼橋と称された。市内の小学校や高校の校歌でも、歌詞にこの橋が登場する。桑名の花火大会も、橋の完成を記念して始まったとされる。
この橋に、米軍機の機銃とみられる銃痕がみつかったのは十数年前のことだ。桑名市の郷土史家
軍需産業
アーチなどの厚い鋼板に、貫通したような丸い穴や、えぐられたような痕が十数か所あるという。特に、橋の東側(旧長島町側)で目立つ。
西羽さんらが2012年にまとめた冊子「桑名の戦争遺跡」によると、伊勢大橋が銃撃を受けたのは1945年7月30日とみられる。
当時の記録はほとんど残っていないが、西羽さんは「米軍側も、頑丈な伊勢大橋を機銃で破壊できるとは思っていなかったはず。橋をわたる人を狙って機銃で攻撃したのではないだろうか」と推測している。
戦時中、桑名はベアリングなどの工場が集積し、軍需産業拠点の一つだった。伊勢大橋を通行する軍人や民間人、トラックで運ばれる軍需物資などが狙われた可能性があるという。
架け替え
空襲を乗り越えた伊勢大橋は、戦後の復興を物流・交通面で支えた。だが、老朽化が激しく、架け替え工事が進められている。
国土交通省北勢国道事務所によると、伊勢大橋の下流側では、架け替えのため新たな橋脚ができた。架け替えの完了時期は未定だが、片側1車線から2車線に増え、慢性的な渋滞が緩和すると期待されている。
現在の伊勢大橋は、解体、撤去される方針だ。
地元では、銃痕のある部分について「戦争遺産として保存すべきだ」との声が上がっている。西羽さんは「伊勢大橋は戦争を耐えた桑名のシンボル。一部でも、後世に残せないだろうか」と訴えている。