奈良・富雄丸山古墳から「国宝級の大発見」…神話に秘められた「被葬者は誰か」の異説
完了しました
「ヤマト王権直属の有力豪族」説は正しいのか
なるほど、それなら、と言いたいところだが、そうだとしても、まだ疑問が残る。富雄丸山古墳が築造された4世紀後半には、奈良盆地内でもすでに前方後円墳が築造されており、ヤマト王権内の上位の権力者は前方後円墳に埋葬され、富雄丸山古墳のような円墳に埋葬されるのはワンランク下の豪族だったとされる。出土した銅鏡や蛇行剣は、ランクが低い円墳に埋葬された豪族の副葬品としては、あまりにすごすぎるのだ。
円墳からこれだけすごい副葬品が出るなら、円墳よりランクが上の全国各地の前方後円墳からはさらにすごい副葬品がざくざく出てもおかしくないのに、そういう話は聞かない。それは宮内庁が天皇陵に比定されるような前方後円墳の発掘調査を認めていないからなのか。「今回出土した副葬品は相当な権力者でなければ持てないはずだから、古墳の被葬者はヤマト王権直属の有力豪族に違いない」という推測は本当に正しいのだろうか。
“古墳大移動”の時代に出現した規格外の円墳
富雄丸山古墳が築造された4世紀後半は、卑弥呼(?~247?)が邪馬台国を率いた2~3世紀と、5世紀の「
富雄丸山古墳はこの変化の時代に、奈良盆地を南北に流れる富雄川と、河内(大阪府)と大和(奈良県)を東西に結ぶ古代のバイパス「
だが、富雄丸山古墳はヤマト王権有力者の“標準規格”である前方後円墳ではなく、直径109メートルもある円墳だ。しかも、他の前方後円墳とは離れた場所にぽつんと単独で存在するなど、王権内の有力者の墓にしては特異性が際立っている。古代学研究者の辰巳和弘さん(元同志社大学教授)は、「被葬者はヤマト王権内部の人物とは思えない。王権とは距離を置き、敵対していた豪族の墓ではないか」と推測する。地元には、辰巳さんの推測に符合する伝承がある。古墳がある場所は、『古事記』や『日本書紀』が記す神武天皇の東征に抵抗した豪族、