「終わってみれば成功」の前回東京オリンピック…今回は?
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夏の大渇水…飲食店などは休業、給水に自衛隊も動員
64年大会では、多くの都民に「オリンピックどころではない」と思わせた“災害級”の出来事もあった。「東京砂漠」と呼ばれた大渇水だ。この年は記録的なカラ梅雨で、夏には最大50%の給水制限が行われ、都内では半日以上水が出ない状況に陥った。入浴や洗濯が制限され、学校のプールや水洗トイレは使用禁止、理髪店やクリーニング店、そば、すしなどの飲食店は休業に追い込まれた。病院も急患以外は休診、消火栓の水も止まった。自衛隊をはじめ、警視庁や米軍まで応援に出て給水車を走らせた。
オリンピックの3か月前に建設相からオリンピック担当相に横滑りした河野一郎(1898~1965)は、「このままではオリンピックで日本国民が恥をかく」と、建設中だった荒川の
飲食店が営業休止に追い込まれ、医療崩壊が懸念され、ワクチン接種に自衛隊が動員された経緯は、今のコロナ禍にも重なるところがある。コロナ対策の要となるワクチンを河野一郎の孫である河野太郎行政・規制改革相が担当しているのも、どこか因縁めいている。
ゴミが散乱、汚れた東京は恥ずかしくて見せられなかった
河野が取水堰の完成を急がせたのは、水不足の解消だけが狙いではなかった。取水堰経由で荒川の水を隅田川に流し込むことで、汚水や川に浮かぶゴミを東京湾に押し流してしまおうと考えたのだ。オリンピックにあわせて日本を訪れる外国人に汚れた東京は見せられないと、都はオリンピックを前に東京の美化運動に躍起になっていたが、道路や川に平気でゴミが捨てられ、都民の意識改革は一向に進んでいなかった。
読売新聞が64年4月に行った世論調査結果では、オリンピックで来日する外国人に「見せたいもの」は「ない、わからない」という答えが最も多く、「戦後の復興ぶり」という答えは2%しかなかった。逆に「見られると恥ずかしいもの」は「公徳心が欠けていること」と、道路や河川などの「町がきたないこと」が同率で最も多かった。開催の年になっても、多くの国民はまだ生きることに精一杯で、戦災からの復興を世界に誇るどころではなかった。
しかし、開会直前に新幹線や首都高速道路などのインフラ整備が整い、始まってみれば女子バレーボールでの「東洋の魔女」の活躍などもあって、国民の不安は急速に消えていった。閉会後の64年11月に行われたNHKの世論調査では、都民の84.6%が「立派に行われた」と回答し、「大体は立派にいった」を合わせると「成功」は100%に達している。オリンピック開催に向けて無理に背伸びをしたことで、多くの国民は敗戦以来、失っていた自信を取り戻し、64年大会には「成功の記憶」が植え付けられた。