帰宅すると殺されていた妻と娘2人、今もその家に住む男性の思い…2015年9月[あれから]<23>
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かつて看護師として人の生死に接してきたという斎藤さんは、悩み相談の活動を細々と続けていた。インターネットで斎藤さんを見つけた加藤さんは、思わず「助けてください」と電話をかけ、その翌日には直接会って「人生を終わりにしたい」と声を絞り出した。
「生きていくことの方が、どれほど残酷か」。加藤さんが抱える苦悩の深さに、斎藤さんは言葉を失った。「加藤さんを少しでも生きやすくできるかどうかが、私の課題になった」という斎藤さんは、1~2か月に1度は顔を合わせ、夜中の電話も
3人の遺品が県警から返却された際も、斎藤さんは引き取りに立ち会った。3人が身につけていた服やエプロン、靴……。「警察官から説明を受ける加藤さんがあまりに
無期が確定 行政相手に 防犯不備訴え
事件の刑事裁判は、分からないことだらけだった。ナカダ受刑者(当時は被告)の弁護側は「犯行時は統合失調症で、責任能力がなかった」などと主張。法廷では、動機も、家の中の状況も、詳しくは語られなかった。
裁判で加藤さんの代理人に就いた上谷さくら弁護士によると、加藤さんには「表情がなかった」という。「家族を失って喪失感のようなものがあったのか、感情がまひしてしまったのか……」
そんな加藤さんが、怒りで全身を震わせて声を荒らげたことがある。
1審の裁判員裁判では被告に責任能力があるとみて死刑判決が出されたが、19年12月の2審で破棄され、「責任能力が限定される心神耗弱の状態だった」と無期懲役になった。この2審判決も耐えがたかったが、その後、検察が「上告しない」と決めたことに、加藤さんは
被告は3人を殺害後、それぞれの遺体をクローゼットに隠している。「責任能力に問題があったとは思えない。なぜ、裁判で真実を追求してくれないのか」。1時間以上にわたり、加藤さんは担当検事とその上司に「自分の家族が同じことをされても、そんな対応ができますか」と訴えた。しかし、検察の結論は変わらなかった。
最終的に、ナカダ受刑者の無期懲役は確定した。「今でも諦めがつかない」と加藤さんは言う。「司法が死刑にしないのなら、自分がこの手で殺すしかないとも思う。それで逮捕されても構わない」
真実を解明できなくて、「最低限の報いと償い」である死刑にできなくて、本当にごめん――。何度も何度も、加藤さんは3人の遺影に手を合わせた。
這いつくばり「せめて無念を伝えたい」
どうすれば3人の死と向き合えるのだろう。加藤さんはそう自問しては、「答えは見つからない」と思う。3人が生きて帰ってくるしか解決策はないのに、それはないと分かっている。
事件前からの趣味だった自転車に乗り、長距離を走ると、気持ちが少し晴れることもある。だが、「何をやってもすっきりしない」。
犯罪被害者の遺族の集まりに参加したこともある。でも、事件で家族の誰かを失っていても、「全員」という人は少ないことに気づく。「あなたには奥さんがいますよね、子どもが残っていますよね――と思ってしまう。家族全員を殺された自分とは違う、と」。人それぞれに苦しみがあり、比べても仕方がないと頭では理解していても、羨むような気持ちを拭いきれない。
唯一、心を開くことができたのが、山口県光市の母子殺害事件の被害者遺族である本村洋さん(46)だった。事件後、仕事に復帰できず葛藤していた加藤さんは、本村さんから「頑張れなくて当然です」と言葉をもらい、気持ちが楽になったという。
「ご家族を守れなかったと悔やむ中で、懸命に生きようとしている加藤さんの姿が伝わってきた」と本村さんは振り返る。加藤さんはその後、もとの仕事に復帰した。
無力感にさいなまれながらも、加藤さんは自分にできることを探し、今日まで生きてきた。埼玉県を相手取って起こした訴訟もその一つだ。
事件は、警察署から逃走した人物が3軒の家で次々と引き起こした。もし県警が周辺住民らに適切な情報提供をしていれば、戸締まりを徹底するなどして被害を防げたかもしれない――。そんな思いで、加藤さんは提訴した。判決は、今月15日に言い渡される。
加藤さんが実名を明かして取材を受けるのは、今回が初めてとなる。真実が明らかにならない中、「せめて自分の存在をかけて、3人の無念さを訴えたい」という。
今も加藤さんは、家族で暮らしたあの家に住み続けている。ふとした瞬間に3人の笑顔がありありと思い出されて胸がつぶれそうになる。それでも、3人の魂が帰ってくる場所はここしかない。
スタッブ・シンシア 由美子記者 2017年入社。さいたま支局で県警・司法を担当し、熊谷6人殺害事件の裁判などを取材。21年に東京社会部に異動後も取材を続けている。今月15日の判決も見届けたい。33歳。