帰宅すると殺されていた妻と娘2人、今もその家に住む男性の思い…2015年9月[あれから]<23>
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芯の強い妻 仲良し姉妹 「普通の毎日」
妻の美和子さんは、芯が強く、思いやりが深い人だった。娘たちが生まれて夜泣きしても、「赤ちゃんはそういうものよ」とイライラしない。しっかり者の美和子さんは、万一に備えて「エンディングノート」も作っていた。そこには「結婚してくれてありがとう」と書かれていた。
娘2人の名前を考えたのも妻だった。1月生まれの美咲さんと、3月生まれの春花さん。2人合わせて、〈寒い冬を乗り越えて力強く芽を出し、やがて美しく咲く春の花になる〉という思いが込められていた。
その名の通り、仲の良い姉妹に育ってくれた。長女の美咲さんは、母に似て「自分が我慢して他人に譲る」タイプ。次女の春花さんとゲームの取り合いになると、いつも譲ってあげた。元気いっぱいの春花さんは服も靴も、姉とのおそろいをねだった。
家の食卓ではそれぞれの席が決まっていて、加藤さんから時計回りに美咲さん、春花さん、そして美和子さん。「いろんな話をしたけど、何か特別な話題を覚えているわけじゃない。毎日毎日、ただ一緒にいて、普通に生活して、それが当たり前だったから」
事件の後、加藤さんは、テレビは一切つけず、スマホの電源も切ったまま過ごした。どうにか告別式を終え、事件から1か月が過ぎた頃。警察官に付き添われて、初めて自宅に入った。壁紙は張り替えられ、清掃も済んでいた。しかし、3人が殺された現場であるこの家には「正直、もう住めないだろうな」と思った。
それなのに、翌日から毎日のように、加藤さんは、当時身を寄せていた実家から自宅に通い続けた。家の中を片付けたり、ただぼう然と過ごしたり。少しずつ、自宅にいる時間をのばしていくうちに、気持ちが変わってきた。
「自分がこの家から出てしまうと、3人の帰る場所がなくなる」。事件から2年余りが過ぎた頃、加藤さんは再び自宅で暮らし始めた。
「家にいたら」 生きる苦悩 僧侶に明かす
化学メーカーの工場に勤める加藤さんは、事件の日は日勤だった。「もし夜勤明けで家にいたら」。どうしても、考えてしまう。
最初に美和子さんが殺害され、その後に娘たちが殺されたようだった。妻は娘たちを守ろうと必死で戦ったに違いない。娘たちは、どちらかが殺される様子を目の当たりにしただろうか。どれほどの力で刺され、どんなに痛い思いをしたか。きっと、「パパ助けて」と叫んだはずだ。
もし自分が家にいたら、侵入者に気づき、家族を助けられたかもしれない。結果的に全員殺されたかもしれないが、一人残って生きるよりもその方が良かった。
事件を真正面から受け止めると、気が狂いそうになる。だから、3人のことを考えたいのに考えないようにする。相反する気持ちに挟まれ、そこでまた追い詰められる。
「そもそも人間がいるからこんなことが起きる。人類が滅亡すればいいのに」――。埼玉県嵐山町の僧侶、斎藤寂静さん(72)にたどり着いたのは、そんな破滅的な考えにとらわれていた頃だった。