かつて広島は臨時の首都だった…天皇が滞在し帝国議会も、専門家「首都機能が別の場所に移った唯一の事例」
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日清戦争時に広島市が臨時首都となった史実から市の発展を解き明かそうと、日本教育文化研究所広島支部は、同市中区の県立総合体育館で「知って驚き!広島が日本の首都だった!?」と題した講演会を開いた。安田女子大の竹本知行教授(日本政治史)らによる歴史解説に約70人が聴き入った。
日清戦争中の1894~95年、軍を指揮する「大本営」が東京から広島に移された。明治天皇が滞在し、帝国議会が開かれるなど、広島は臨時の首都としての機能を担った。
講演で竹本教授は「都が東京に定められてから、首都機能が別の場所に移った唯一の事例。その結果、広島の都市開発が一気に進んだ」と強調した。
清と朝鮮半島の支配権を争った戦時中、多くの兵士や物資が大陸に送り込まれた。輸送拠点となったのが宇品港で、「当時、鉄道が延びていた西端が広島で、そこに大本営を置かざるを得なかった」と背景を説明した。
また竹本教授は、この頃に整備された旧宇品線(廃線)や水道などの社会基盤を、広島市民が享受したと指摘。広島電気軌道(現・広島電鉄)が開業し、沿線に軍の関連施設が建つなかで街が拡大し、「鉄道が複数の地域をつなぎ、市民や物資の移動が円滑になり、経済の安定感が増した」と述べた。
参加した広島市南区の男性(71)は「改めて原爆投下前の広島の歴史に触れることができてよかった」と話した。