オフレコ取材の意義とは 国民の「知る権利」損なわぬ配慮を

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POINT
■オフレコの政治取材に批判的な声もあるが、中には誤解に基づくものも少なくない。

■機微情報を書かれたくない政治家と、なるべく多くを読者に伝えたい記者とのせめぎ合いの中から、均衡点が導かれる。

■オフレコ取材の際も、できるだけソースを明らかにするための努力は欠かせない。

■「オフレコ破り」の結果、国民に届く情報の質・量は低下し、「知る権利」は阻害されかねない。

調査研究本部主任研究員 舟槻格致

 性的少数者(LGBT)や同性婚カップルを差別する発言をした荒井 (まさ)(よし) 首相秘書官を、岸田首相が更迭した。首相秘書官が失言で更迭されるのは異例で、秘書官の発言は言語道断だ。一方、実名で報じないオフレコ(オフ・ザ・レコード)を条件に行われた発言が、毎日新聞のニュースサイトで明るみにされた点に、賛否の議論が沸き起こっている。政治報道で、オフレコ取材は好むと好まざるとにかかわらず避けて通れない部分があるが、その意義とあるべき姿を論理的に解明した研究は、ほとんど見かけない。なぜオフレコ取材というものが存在するのか。そしてオフレコ取材で注意すべき点は何なのかを考えたい。

オフレコ巡り消えぬ不信

 筆者がかつて首相官邸クラブに所属し、官房長官番記者を務めていたとき、報道各社との懇談のさいに長官が語った「非核三原則の見直し」という言葉を、ある通信社が「政府首脳が発言した」として報じ、大問題となったことがある。「政府首脳」といえば長官を指すのは政治記事における暗黙のルールだからだ。更迭には至らなかったものの、図式は今回とそっくりである。官房副長官の経験もある鈴木宗男参院議員は5日、自身のブログで「オフレコの話が表に出るとは人間不信にも繋がる行為であり、お互い考えなくてはいけない(原文のまま)」と指摘している。

 現在、大学や大学院で政治・憲法と政治報道の講義を受け持つ筆者には、学生・院生からリポートで様々な疑問が寄せられる。中には「政治記者は政治家と癒着しているのではないか」「政治記者はオフレコ取材で国民の期待を裏切っているのではないか」といった報道不信をにじませたものも少なくない。

 その都度、こちらからは「政治家や官僚は、それほど簡単に記者に本音や秘匿性の高い情報を漏らしてはくれない」「情報を得ても読者に何らかの形で届けることができなくては取材の意味はないと、政治記者は常に教育されている」などと話し、理解を得るよう努めているものの、半信半疑の学生・院生もいるのが事実である。

 そこで、学生・院生の理解を促すことも狙い、オフレコ取材に関する概念モデルを作ってみたので、ご紹介したい。

図式化できるオフレコ取材の意義

 縦軸に、政治家や官僚の「発言の公開度」(高い・低い)、横軸に記者が「聞ける情報の量・質」(多い・少ない)を置き、発言の公開度が高ければ高いほど聞ける情報量・質は低下し、逆に公開度が低くなればなるほど、聞ける情報量・質は向上するという相関関係を仮定したものである。

 とある政治家のケースとして、線分AB1を見ていただきたい。

 縦軸の公開度は、記者会見やインタビューなどの「完全オンレコ(オン・ザ・レコード)」の発言の場合、最も高くなる。それをベースに実名で記事を書かれても一切文句は言えないのが前提だからである。逆に、発言者名も発言内容も一切書かないことを求められる「完全オフレコ(完オフ)」が、最も公開度が低い部類だろう。実際にはその間に、主語を「政府筋」などとぼかして引用可能なもの、主語は書けないが「事実関係のみ引用可」とされるものなど、無数の段階が存在する。

 横軸の、聞ける情報量・質では、政治家同士の秘密のやり取り、未発表の人事、決定直前の政府方針などは、「量・質」の多いものと分類されよう。逆に、当たり障りのない情報、政治家側に一方的に都合の良い情報などは、「量・質」は少ないと評価できる。

 もちろん、現実社会においては、AB1が直線(linear)になる保証はない。むしろ、多少は曲折がある形状と考える方が自然かもしれない。ただ、曲線を正確に描くには定量的な分析が必要で、公開度や情報量・質といった概念を計測可能な数量に置き換えて「操作可能」にせねばならず、容易でない。本稿の目的は、あくまで概念モデルの構築にあることから、線形を仮定して理論を提示することとする。記者にとって、読者に最大限の情報を届けるために最適な戦略は、無差別曲線(読者が得られる情報の質・量が等しくなる点を結んだ曲線)との接点E1で表現される。E1を離れて線分を上下いずれに移動しても、書ける情報量は減少し、読者(=国民)の満足度は下がってしまうからである。

政治取材の現場に当てはめると

 具体的に、実際の政治取材の現場を想像してみると、分かりやすい。たとえば、記者会見ではほとんど建前しか話さないような政治家がいて、懇談や1対1の取材で、本音を探ることを試みたとする。そのまま記事に書かれると警戒すれば、踏み込んだことはほとんどしゃべらないのが明らかだ。

 そこで記者は、本音、あるいは隠された事実を探るべく、主語を「〇〇党幹部」「閣僚経験者」といった、さまざまな隠語に変えてのみ引用することを約束し、質問を仕掛けることになる。相手の警戒を解くための究極の手法は「完オフ」である。ただ、その場合、主語を隠すのみならず、発言内容も一切記事には書けなくなるから、記者としては不都合である。そこで、中間のどこかで折り合いをつけようとすることになる。結局、政治家と記者の交渉が成立する均衡点がE1になるのである。

 もちろん、実際の取材現場では、こうした政治家と記者の「交渉」は明示的に行われることはほとんどなく、暗黙に、あるいは「長年の信頼関係」のもとで不文律として決まることが多いだろう。

 線分の傾きは、発言者により一様ではない。きわめてフランクな性格の政治家などだと、傾きは相当緩いが、口の重い政治家になると、角度がかなり急であることもある。「オフレコだ」「完オフだ」と言っても、なかなか本音を明かさない政治家もいるということだ。

オフレコ取材の葛藤

 以上がオンレコ・オフレコの基本的な概念枠組みだが、これで政治取材が一件落着となるわけではない。

 筆者が政治取材の現場にいた際に、デスクや先輩記者からしばしば言われたのは「相手がオフレコだと言っても安易に応じず、『書かせてくれ』と求める努力を忘れるな」ということである。線分AB1の政治家も、記者側の努力により、AB2へと傾きが変わることは、少なくない。これは、記者側が口頭で求めることで実現することも多いが、取材者と被取材者の間に信頼関係が強まった結果、ある程度踏み込んだ記事を書いても問題視されなくなるといった場合もあろう。均衡点はE2に移動する。E1と比べると、聞ける情報量・質も、発言の公開度もともに高まり理想に近づいた形だ。

 読売新聞は、2001年5月に制定された「読売新聞記者行動規範」で、情報源の秘匿を「最も重い倫理的責務」と明記し、「オフレコの約束は、厳守しなければならない」と求めている。同時に規範の「解説」の中で「守ることのできないようなオフレコの約束は、安易にしてはならない」とも要求している。発言をオフレコにしたがる政治家の要請に常に応じるべきではなく、できるだけ読者に情報を届けるようにする葛藤が日々求められるということにほかならない。

オフレコ破りのいきさつ

更迭された荒井秘書官と歩く岸田首相(右)
更迭された荒井秘書官と歩く岸田首相(右)

 毎日新聞は、5日の朝刊で、報道から秘書官更迭に至る経過の「検証」記事を掲載している。その中では、取材がオフレコ前提だったことを明かしたうえで、発言が問題だと考え、「実名で報道する旨を事前に伝えたうえで」ニュースサイトに掲載した、と説明している。要は、発言時点ではオフレコだったが、発言が行われた後、報道側の判断のみでオンレコに切り替えたということだ。同紙の8日夕刊では、与良正男・専門編集委員が「『書く』のが私たちの仕事」とのタイトルでコラムを書き、「『良い判断だった』と後輩たちをほめてあげたい」と記している。

 もちろん、今回の秘書官の発言内容が人格否定的な許しがたいものであり、強い憤りを感じることは十分に理解できる。だが、そのことと、取材のルールであるオフレコを破ったか否かとは、別である。線分AB1をAB2に移す努力なしに、線分より上の位置でネット記事を書いたわけだ。一度ネットでも公になってしまった以上、他の報道機関も、これを報道しないわけにはいかない。

 オフレコ破りは結果として、何をもたらすのだろうか。

 今回の1回限りについていえば、「書ける情報量・質」は、線分の上に飛び跳ねたわけだから、読者が得られる情報は増えたことになる。一見、問題はないようにも思える。だが、今回の一件を機に、秘書官や官房長官、官房副長官といった首相官邸の中枢、与党幹部らは、オフレコでも本音をなかなか語らないことになる可能性もある。線分が急角度に立った形状になってしまう懸念が拭えない(図のAB3)。

長期的に見て損するのは国民

 オフレコ破りで一時的に国民が受け取る情報量は増大するが、その後長期にわたり情報量は低下しかねない。最終的に損するのは権力でなく、読者・国民である。民主主義に反する由々しき事態といえる。

 なお、定量的に、情報がどの程度出にくくなるかを計測することは、ほとんど無理であろう。たとえば実験として、相手を信頼している場合とそうでない場合をグループ分けして、どの程度本音を語るかを分析するといった手法である程度推測はできるかもしれない。だが、政治や行政の機微情報を、プロの記者がどの程度つかみづらくなるかとなると、雲をつかむような話になりかねない。

 民主社会にとって、国民の「知る権利」は不可欠のとりわけ重要な人権とされている。国民主権のインフラである政治・行政情報を国民に届ける役割の一翼を、オフレコ取材が担っていることを、オフレコに安住することの危険性と合わせて、あらためてかみしめたい。

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3807575 0 政治・選挙 2023/02/10 17:16:00 2023/02/13 11:47:22 2023/02/13 11:47:22 /media/2023/02/20230210-OYT8I50068-T.jpg?type=thumbnail
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