「人種の研究」で持ち帰った遺骨、京大が90年経て返還に動き出した背景は…国連宣言や米人類学会などで「世界の潮流」
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京都大は11月、前身の旧京都帝国大の研究者が昭和初期に沖縄県や鹿児島県・奄美群島から研究目的で持ち去った遺骨を、少なくとも466体を保管していると公表した。5月に沖縄県
なぜ大量の骨を?
京都帝大の収集と研究は、医学部助教授の金関丈夫が1929年、祖先をまつった今帰仁村の「
人骨の収集は19世紀、帝国主義を推し進めた欧州各国に遡る。アフリカなどの植民地の調査で始まり、当時は進化に結びつけて「先住民」と比較する「人種の研究」への関心が高く、骨は重要な資料とされた。
日本にもこの手法が持ち込まれ、アイヌや琉球などの墓所を対象に、京都、東京、北海道といった旧帝大などが競って進めた。
「先住民」の権利
20世紀後半、人骨を含む文化財を盗難や不法な輸出などから守る意識が広がった。72年には「文化財不法輸出入等禁止条約」(通称ユネスコ条約)も発効。先住民を巡る90年の米連邦法が契機となり、人骨などを本来の地に戻すべきとの見解が主流になった。2007年には国連総会で「先住民族の権利に関する宣言」が採択された。
日本では19年5月にアイヌを先住民と明記し、差別禁止を盛り込んだ「アイヌ施策推進法」が施行。遺骨の返還や慰霊施設への集約などの方針が閣議決定された。保管状況は文部科学省が調べ、京大、東大、北大など12大学で最大計約1600体を確認。今年7月には4大学などの20体が、アイヌの儀式で小樽市内の墓地に再埋葬された。
一方、政府は「アイヌ以外の先住民は存在しない」と主張。国連の宣言などで、琉球や奄美の人々も先住民だと度々指摘されるが、「国民として権利を保障されている」との見解を崩していない。人骨の収集や保管の実態はほぼ不明だ。
アイヌへの対応が進んだ時期に、百按司墓の遺骨返還を求め、子孫にあたる沖縄県民らが京大を相手取り京都地裁に提訴。裁判の間に保管を解消する動きも進み、19年3月には、台湾大(旧台北帝国大)が教授だった金関の持ち込んだ遺骨を同県教委に返還した。
22年4月の地裁に続き、23年9月の控訴審でも原告の請求権は棄却された。判決は大学の保管は「不当でない」としたが、付言では「返還は世界の潮流になりつつある」と認め、当事者らの話し合いで「解決に向かうことを願う」とした。
狭まる「正当性」
学界でも遺骨の取り扱いはより厳格になっている。影響力を持つ米人類学会は24年6月、研究者や大学に所有権はなく、所有集団の同意などが不可欠で、学問の自由は無制限でないとした指針と勧告を示した。報告書には百按司墓の写真が掲載され、日本の動向にも関心が高いことが分かる。
東大は今年10月、遺骨返還に向けた実務機関の設置を公表した。その際、「厳粛に受け止め、
沖縄県出身で元原告の松島泰勝・龍谷大教授(62)は11月、新指針に基づき、沖縄県からの106体の返還を京大に申請したが、文書のやりとりが主で裁判と同様、返還される対象かどうかで見解の相違が目立つ。松島教授は「返還に向けて前進だが、プロセスに不満がある。人の心をもって謙虚に考えてほしい」と残念がる。