映画「MISHIMA」ポール・シュレイダー監督に聞く…「三島由紀夫は三島由紀夫を創作した」

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映画「MISHIMA」完成から40年後に日本初上映

 今年の東京国際映画祭(10月27日~11月5日)で、作家・三島由紀夫(1925~70年)の生涯と芸術を描いた「MISHIMA」(1985年)が、完成から40年を経て日本初上映を果たした。10月30日に行われた日本初上映のチケットは売り出しから15分足らずで完売。映画祭側は会期終了後の11月8日、9日に異例の特別追加上映を行うことにした。日本初上映に合わせて来日していたポール・シュレイダー監督にインタビューした。(編集委員 恩田泰子)※敬称略

ポール・シュレイダー監督=和田康司撮影
ポール・シュレイダー監督=和田康司撮影

 「MISHIMA」は、緒形拳が演じる三島の生と死をめぐる物語。自衛隊市ヶ谷駐屯地で自決した1970年11月25日の行動と幼少期からの伝記的エピソード、そして、三島の小説「金閣寺」「鏡子の家」「奔馬」の作品世界をそれぞれ描く三つの劇中劇を絡み合わせながら、映画は進む。せりふは全編日本語だ。

 劇中劇では、アートディレクターの石岡瑛子による美的で斬新なセットを舞台に、坂東八十助(「金閣寺」)、沢田研二(「鏡子の家」)、永島敏行(「奔馬」)が三島の分身的なキャラクターを演じている。音楽は、現代音楽の巨匠フィリップ・グラス、製作総指揮はフランシス・フォード・コッポラとジョージ・ルーカスだ。

 シュレイダーは現在79歳。監督作で、あるいはほかの監督の作品のために書いた脚本で、孤独な人間を繰り返し描いてきた。中でも最もよく知られているのは、脚本を手がけた「タクシードライバー」(1976年、マーティン・スコセッシ監督)でロバート・デ・ニーロが演じた、ニューヨークのタクシー運転手、トラビス・ビックルだろう。「魂のゆくえ」(2017年)など近年の監督作で、ますます作品世界の強度と純度を増し、世界的注目を集め続けている。

「タクシードライバー」と「MISHIMA」

映画「MISHIMA」=(C)1985 The M Film Company
映画「MISHIMA」=(C)1985 The M Film Company

 「MISHIMA」を撮った理由について、シュレイダーはこう説明する。

 「『自殺的栄光』の病理に、私は興味を抱いていた。そのことについて西洋の文脈で書いたのが『タクシードライバー』だ。『MISHIMA』ではその病理を正反対のパースペクティブから探究する機会を得た」と。

 「『タクシードライバー』の主人公は、痛みや苦しみを通して 恍惚(こうこつ) に至り、人生を超越できるというゆがんだ思考の流れにはまりこんでいる。ただ、彼がそうなったのは、無知、無教養だったからではない。その(自殺的栄光の)病理は誰の中にも生まれ得る。私は、そのことを改めて突き詰めてみたいと思っていた」

 そこでたどりついたのが、トラビスとは真逆の人物、三島だった。「もし三島が存在していなかったとしても、私は、彼のような人物を創作したいと思ったに違いない」とシュレイダーは言う。

 「描きたかったのは、(両者に共通する)『美的にしてねじれた栄光の感覚』、そして三島がそれに基づいて行動したという事実だ。政治的なことを描きたかったわけではない。私は、彼の『最後の日』を、政治的抗議活動ではなく、最後の舞台作品ととらえてきた」。今回の来日中に、三島原作の映画「剣」(1964年、三隅研次監督)を見て、その考え方が補強されたように感じたそうだ。

兄レナードとの共作

映画「MISHIMA」=(C)1985 The M Film Company
映画「MISHIMA」=(C)1985 The M Film Company

 「MISHIMA」の脚本は、兄で脚本家のレナード・シュレイダー(故人)との共作。日本語版はレナードの妻、チエコ(同)が手掛けた。

 レナードは1960年代後半に来日し、京都の同志社大学で英文学を教えていた。70年に三島が自決した際は大きな衝撃を受け、以後、三島の著作や資料を読みこんでいたという。

 「彼はそれ以前、東映やくざ映画に心酔していて、私たち兄弟は一緒に『ザ・ヤクザ』(1974年、シドニー・ポラック監督)の脚本(レナードのクレジットは原作)を書いた。そして、次に私たちが書くべきは、三島由紀夫だと思った」

芸術家の本当の人生を表すのは作品

 ポール・シュレイダーの物語づくりは、しばしばメタファーの発見から始まる。たとえば「タクシードライバー」の場合は、イエローキャブ。その頃のシュレイダーの目には、それが、都会を漂う棺おけのように映ったという。

 三島の場合はどうだったのかを尋ねると、「思うに、三島由紀夫は彼自身のメタファーだ」という答えが返ってきた。「三島由紀夫は三島由紀夫を創造していた」とも。

 「MISHIMA」には、さまざまなマスク(面)をつけた三島の姿が立て続けに映し出されるシーンがある。三島の顔、能面、剣道の面、ジェット戦闘機のパイロット用の酸素マスク……。仮面が入れ替わるようでもある。

ポール・シュレイダー監督=和田康司撮影
ポール・シュレイダー監督=和田康司撮影

 「つまり、それ(仮面)が三島。彼の初長編は『仮面の告白』でしょう。仮面は日本美術史において重要な位置を占めてきたが、それとは別に、三島には仮面に対して独自の考え方を持っていたと思う。そこで問いたいのは、彼のどこまでが仮面だったのか、その境界が彼自身どのくらいわかっていたのか、ということ。三島はそのことを探究すべく、自分の領域を広げ続けたのではないか。もう後戻りできないところにたどりつくまで」

 「MISHIMA」は4章構成で、第1章「美(BEAUTY)」には「金閣寺」、第2章「芸術(ART)」には「鏡子の家」、第3章「行動(ACTION)」には「奔馬」を基にした劇中劇が入っている。

 「芸術家の本当の人生は、彼らの行動ではなく作品が表していると私は思っている」とシュレイダー。「たとえば、モーツァルトを真に理解したいと思ったら、彼の音楽をたどる必要がある。だから私は三島の小説の中に入っていきたかった」と言う。ちなみに第4章「文武両道(HARMONY OF PEN AND SWORD)」の中心となるのは劇中劇ではなく、自衛隊市ヶ谷駐屯地での一部始終だ。

 「最終的に彼は自分の創作物になる。この映画は彼を批評しているわけではない。彼を愚かだとも言っていない。彼は彼自身の神格化に成功したと言っているのだ」

 シュレイダーによれば、映画に入れたいと思ったが、三島夫人である平岡瑤子氏の了解が得られなかった小説があった。「禁色」だ。そこでシュレイダーは、日本人である義姉チエコに、英訳されていなかった作品にあたってもらった。描きたかった要素が入った作品を見つけるためだ。そして、さがし出したのが、「鏡子の家」だったという。「ほかの2作品『金閣寺』と『奔馬』はとても有名だから、その中になぜ『鏡子の家』が入っているのか。ひょっとすると奇妙に映るかもしれないが」

「緒形拳さんは勇敢な俳優だった」

映画「MISHIMA」=(C)1985 The M Film Company
映画「MISHIMA」=(C)1985 The M Film Company

 日本での撮影は1984年3月末から6月末まで行われた。

 「緒形拳さんはとても勇敢な俳優だった。さまざまな重圧があったにもかかわらず、三島を演じきった」とシュレイダーはたたえる。

 当初、シュレイダーが三島役として想定していたのは、「ザ・ヤクザ」に出演した高倉健だったという。「私はやくざ映画時代の健さんのファンだったし、外見も三島的だと思ったが、実現しなかった。その後の俳優さがしでは、三島との身体的な類似性と、俳優としてどれだけ優れているかという点のどちらを優先するか、悩みもしたが、私たちは後者に重点を置いた。そして緒形さんを選んだ」

製作中、タワーレコードで

 「MISHIMA」の製作中、こんなこともあったという。東京・渋谷のタワーレコードに行った時のこと。「覚えのあるタイトルのアルバムを見つけて買ってみたら(ライナーノーツに)自分への謝辞を見つけた」

 それは、ブルース・スプリングスティーンの「ボーン・イン・ザ・U.S.A.」。そのタイトルは、それ以前に、シュレイダーが、スプリングスティーンに主演してほしいと考えて送った自作脚本と同じだった。スプリングスティーンの若き日を描く劇映画「スプリングスティーン 孤独のハイウェイ」(スコット・クーパー監督、11月14日公開)にも、その脚本のことがちらりと描かれる

 「ブルースは出演を引き受けなかったが、タイトルは持っていったんだ」とシュレイダーは笑う。「アメリカに戻ってから、(スプリングスティーンのマネジャー)ジョン・ランダウに『まだあの映画を作りたいが。もうタイトルが使えなくて困っている』と伝えたら、ブルースと直接会うことになった。その時、『(埋め合わせに)あなたの映画で俺の曲を使ってもいいし、新しい曲を書いてもいい』と。それで作ってもらった新しい曲が、私の映画『愛と栄光への日々 ライト・オブ・デイ』(1986年)の主題歌だ」

東京国際映画祭で上映した意味

 完成した「MISHIMA」は1985年のカンヌ国際映画祭で世界初上映され、芸術貢献賞を受賞。製作側は、同じ年にスタートした東京国際映画祭での上映、そして日本での劇場公開を望んだが、実現はしなかった。

 当時の経緯について、記者(恩田)は確認や裏付けができていない。ただ、製作段階から、道は平坦ではなかったことが、当時の報道からみて取れる。キャスティング発表記者会見を行った翌日の1984年3月27日、報知新聞(当時)は、「(三島夫人が)『脚本(の内容)が契約にそっていないのではないか』として書き直しを求めているという」と、夫人のコメント付きで報じている。また、そのこととは別に、一部右翼団体の反発も懸念されていた。シュレイダー監督は用心のために「撮影開始後、1週間ほど防刃ベストを着ていた」と明かす。

10月30日、「MISHIMA」日本初上映前、登壇した(左から)アラン・プール、ポール・シュレイダー、山本又一朗=(C)2025 TIFF
10月30日、「MISHIMA」日本初上映前、登壇した(左から)アラン・プール、ポール・シュレイダー、山本又一朗=(C)2025 TIFF

 今回、東京国際映画祭で「MISHIMA」日本初上映が実現することになったのは、まず、シュレイダーの強い希望があったからだ。それを受けて、同作でアソシエートプロデューサーを務めたアラン・プール(現在はプロデューサー、監督として活躍)が映画祭側にコンタクトをとり、製作者の山本又一朗ともども、連携して約2年がかりで準備を進めた。

 「(もう一人の)製作者で、テルライド映画祭(アメリカ)の創設者でもあるトム・ラディ(2023年死去)は、日本の人に東京国際映画祭の設立を手伝ってほしいと頼まれ、私たちがここにいた時に協力していた。(当時の映画祭側が)『MISHIMA』を見ることさえ拒否したから、協力できなくなったけれど。40年が経って、彼が設立にかかわった映画祭で、この映画がかかる。一緒に上映に参加したかった」

1985年のカンヌ国際映画祭での「MISHIMA」チーム。(左から)石岡瑛子、山本又一朗、沢田研二、ポール・シュレイダー監督、緒形拳、トム・ラディ=ポール・シュレイダー監督提供

オリジナルリリース版との違い

 今回の上映には、コッポラの映画会社として知られるアメリカン・ゾエトロープが協力。今回のために新しい上映素材を提供した。

 基になっているのは、以前、米クライテリオン社が出したブルーレイのために作られた4Kデジタルレストア版。このレストア版には、40年前のオリジナルリリース時にはなかったシーンが入っている。「金閣寺」の劇中劇での笠智衆出演シーンだ。

 「私は小津安二郎作品を通して、チシュウ・リュウの大ファンになった。彼のために短いシーンを用意して出演してもらったが、映画の尺が長くなりすぎないようカットしてしまっていた。なんてことを。敬愛しているのに。それで(レストア版で)復活させた」

 また、レストア版では全編を通して、緒形による「三島の声」のナレーションが入っているが、これもオリジナルリリース時は違ったのだという。「せりふもナレーションも日本語だと字幕が多くなりすぎるのではないかと心配して、英語のナレーション(ロイ・シャイダーが担当)を使っていた。緒形拳さんのナレーションに戻ったんだ」

望まれる一般劇場公開

 くしくも三島生誕100年の節目に実現した日本初上映。この映画を見ると、三島の本を読みたくなる。映画の中に登場する作品をはじめとする三島文学、そしてシュレイダー監督らが脚本執筆の際に読み込んだという「太陽と鉄」……。特別追加上映の後は、一般劇場公開も望まれる。

 ※「MISHIMA」特別追加上映は、東京・ヒューマントラストシネマ有楽町 シアター1で11月8日と9日の午後8時10分から。

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