藤井聡太竜王の次の世代は「アナログ型」…AI使わず棋士になった藤本渚六段や「自分の考えを信じる」炭崎俊毅四段、詰将棋の達人・山下数毅三段は竜王戦で躍進[指す将が行く]
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昨年の竜王戦七番勝負・藤井聡太竜王-佐々木勇気八段や、一昨年の藤井竜王-伊藤匠叡王のカードでは、2日制にもかかわらず、開始直後から互いの手が止まることなく、初日の昼頃に終盤戦を迎える対局があった。AIを活用した「定跡研究」が進み、記憶した手順が続く際は時間を使わないのが現代調だ。22歳の藤井竜王より年下の10代棋士らは、よりデジタル化しているのかと思いきや、昭和的な「非AI型」の将棋観に基づいて日々、研究している。AI時代の反動をうかがわせ、その差異は興味深い。(デジタル編集部・吉田祐也)
未知の局面での正確な形勢判断こそ、本当の実力
若手有望株の筆頭でもある19歳の藤本渚六段は「子供の頃から、AIがなくてもプロになるのが本物だと思っていました。奨励会時代は勉強で将棋ソフトを使わず、なんとか三段リーグを抜けることができました」と明かした。
近年の三段リーグはAI研究が進んでいる先鋭的な場所で、藤本六段は研究の狙い撃ちにあうこともあったが、それをはねのけ、3年前に四段昇段を果たした。謙虚な性格だが、強い信念がある。穏やかな口調に、記者は「ただ者ではない」と感じ入った。藤本六段は記憶に適した10代の脳を持っているものの、研究勝負の側面が強い「角換わり」の戦型は指さない。その場での読みや形勢判断を試される力将棋を好み、雁木(がんぎ)が得意戦法だ。
ところが、雁木もかなりAI研究が進んでいるのが現状で、藤本六段は四段の頃にアベマ団体戦に出場した際、藤井竜王や伊藤叡王との序盤での知識差に驚いた。棋士となっての公式戦では「知識」の部分で後れを取ると「かなり厳しい」と感じ、最低限の知識はAI研究で補完した。「とはいえ、AI研究に重きを置くことはありません。未知の局面で正確に形勢判断をして最善の手を導くことが本当の実力だと考えています」と本質は不変だ。
惜しくも中学生棋士に届かず…「悔しさを」意外な人からの懇願
そんな藤本六段の将棋観にほれ込んでいた意外な人物がいた。2年前、藤井竜王以来の中学生棋士誕生なるかと期待された奨励会員・山下数毅三段(16)の父親だ。山下三段は第73回三段リーグ戦で好成績(13勝5敗)を収めるも、惜しくも次点で四段昇段に届かなかった。奨励会幹事の棋士らは「山下君の才能は抜群だが、執着心といった勝負師としての資質が足りない」とみていた。「あと一歩」を打破するため、山下三段の父親は「息子に悔しさを植え付けていただきたい」と藤本六段に懇願したという。
藤本六段は練習将棋で山下三段を鍛えた。「彼の序中盤は粗削りでしたが、終盤は信じられないほど強い。勝勢の将棋を逆転負けしたこともあります」と苦笑する。練習将棋を重ねるなかで課題を克服していった山下三段は、昨年の第37期竜王戦6組で大きな飛躍を遂げた。棋士らを次々となぎ倒し、決勝進出で5組昇級を果たした。そして6組優勝には、次点が与えられるため、過去に三段リーグで次点を獲得している山下三段にとって、次点2個による「プロ入り」が懸かる一番がやってきた。立ちはだかったのは藤本六段だった。
心を鬼にした対局、練習将棋で教える後輩のプロ入りを阻む
昨年5月の6組決勝を前に藤本六段は「(対戦相手が)自分でなければ、山下君を応援していた」と複雑な心境だったが、心を鬼にして大一番に臨み、山下三段に勝利した。「悔しさ」を植え付けられた山下三段だが、6組を勝ち上がる中でみせた圧倒的な終盤力は棋士らを震えあがらせた。「棋士と遜色ない実力の持ち主」という評価も固まった。
数学者を父に持ち、本人も優れた理数系の素養を持つ山下三段は、AI研究にも親和性が高そうではあるものの、「アナログ」な勉強法である詰将棋を解くことを大切にしている。藤井竜王が6度目の優勝を果たした3月の詰将棋解答選手権チャンピオン戦で、山下三段は3位に入り、改めて読みの精度が高いことを示した。
「AIに頼らない」古風で芯がしっかりした16歳の炭崎新四段が誕生
一方、竜王戦の活躍などで、いち早く注目を集めていた山下三段よりも、先に三段リーグを抜けた16歳の新四段が今春、誕生した。山下三段と同学年の炭崎俊毅四段だ。3月に終わった第76回三段リーグ戦で炭崎三段(当時)は15勝3敗の好成績で2位に入り、四段昇段を決めた。兄弟子である藤本六段のことを「強いのに、いつも謙虚な姿勢で盤に向かう姿を尊敬しています」といい、将棋観も大きな影響を受けている。
一門の縁もあり、練習将棋で教えている藤本六段は「炭崎四段は居飛車正統派で、序盤の知識も深い。ただ、AI型ではなく、自分で考え抜いて納得した上での新手を実戦で試していくタイプです」と評する。炭崎四段は「将棋の研究をする際に、AIに頼ることをしたくない。古風ですが、自分の考えを信じて指していきたい」と語った。藤本六段は「彼は16歳と若いですが、芯がしっかりしている。後輩ながら頼もしいです」と話した。
前期6組決勝と同一カード、5組の山場で山下三段が「藤本先生」にリベンジ
同学年である炭崎四段に先を越された山下三段だが、今年に入って再びプロ入りのチャンスが巡ってきた。
今期の第38期竜王戦5組の初戦は不戦勝となり、迎えた2回戦が藤本六段との対局で、いきなりの山場だった。相居飛車の対局は、中盤の形勢判断で藤本六段が上回った。第1図は△2四銀と埋め、駒得の後手が盤面全体を厚くして優位を築いた局面だ。山下三段は「はっきり苦しくした」と対局中に認識していたが、勝負を諦めなかった。藤本六段は「ここから攻め合ってもいいし、受けに回っても勝てそう。方針で迷いが生じ始めた」という。
夕食休憩明け、藤本六段が斬り合いを選択し、山下三段の目の色が変わった。劣勢だが、後手玉に嫌みをつけて「勝負、勝負」と迫った。山下三段の終盤力を警戒しすぎたか、時間が切迫しつつあった藤本六段は△9一香(第2図)と打ったが、痛いミスだった。指を離した直後、「しまった」と後悔した。山下三段はすかさず▲9六歩と打ち、流れをつかんだ。
後手はやむなく△9六同香。△9六歩ですんだところ、香車を使ってしまい、藤本六段は攻防の勝負所で駒不足に悩まされた。体を入れ替えた山下三段は、時間を投入して読みふけり、藤本六段の粘りを振り切った。前期6組決勝で「悔しさ」を刻み込まれた山下三段が、5組で「藤本先生」にリベンジを果たした。続く準々決勝では、タイトル挑戦経験がある出口若武六段に勝った。関西の実力者2人を破った山下三段は5組準決勝へと駒を進めた。
竜王戦4組昇級で次点の新規定、「山下ルール」が登場
山下三段の勝ち上がりを受け、日本将棋連盟が動いた。奨励会三段が5組準決勝で勝ち、4組昇級を決めた場合に「次点」を付与する新規定を発表した。再び、次点2個での「プロ入り」が懸かる一戦に臨む山下三段。4月からの三段リーグで降段点(勝率2割5分以下)に該当した場合、次点は付与されないが、「山下三段が降段点を取ることはない」というのが大方の棋士の見立てだ。竜王戦5組の大一番は、振り飛車党の山本博志五段が待ち構える。
5月2日に東京・将棋会館で行われる山本五段-山下三段戦を前に、山下三段の兄弟子の大石直嗣七段は「逸材ゆえ、竜王戦で棋士になる権利をつかんでくれたら」と期待を寄せる。
AI研究最先端の竜王戦七番勝負で新聞解説などを務めた中堅棋士の大石七段は「藤井竜王や伊藤叡王、佐々木八段の角換わりは序中盤の概念すらなく、手が進みすぎて異世界の将棋のように感じましたが、10代の藤本さん、炭崎さん、山下さんの将棋はアナログ調で、ほっとする面があります。デジタル時代の反動なのか、関西の力将棋を重んじる伝統が影響しているのか、昭和っぽさがあって面白いです」とほほえんだ。
第一人者が初の2手目△3四歩、力将棋へ変化の兆し
将棋界の最先端をひた走る藤井竜王は、2025年の新年記者会見で「戦型選択を含め、幅を広げていきたい」と抱負を述べていた。
3月の王将戦七番勝負第5局では、藤井竜王はプロ入り後の公式戦で初めて2手目△3四歩を指した。それまでの2手目は全て△8四歩だった。思うところがあったか、第一人者にも力将棋を志向する「変化」の兆しがある。師匠である杉本昌隆八段の考えもあって、藤井竜王は奨励会三段に昇段するまで、将棋ソフトを活用していなかった。「AIが示した手をうのみにしない」という言葉も、藤井竜王はよく口にしている。
2025年は棋士の将棋が変わりゆく1年になるのか。10代棋士ら「次世代」が棋界にもたらす刺激から、目が離せない。