「新選組の生き証人」永倉新八 小樽の拠点見つかる 現在の小樽運河ターミナル横の駐車場
完了しました
新選組の幹部隊士として活躍した永倉新八(1839~1915年)が一時身を寄せていたと思われる住宅が、小樽市の色内大通りに面した「小樽運河ターミナル」横の駐車場付近にあったことがわかった。長男の杉村義太郎が経営する薬店兼住居で、幕末維新史研究家の朝山大吾さん(53)と永倉のひ孫でフリーのテレビディレクター杉村和紀さん(58)の研究で明らかになった。
■運河ターミナル隣
2人は和紀さんの叔父杉村義男さん(永倉の孫)がまとめた調査史料を整理する中で、1905年(明治38年)1月13日付の小樽新聞の広告に「販売店〈十二〉杉村義太郎」の名前と「小樽区色内町小樽銀行向」の住所記載を見つけた。
明治期の「小樽港明細地図」と照らし合わせて、現在の小樽運河ターミナル隣の駐車場の位置に「十二薬店」の記載を確認。色内大通りをはさんで向かい側に「北海道銀行」の文字があった。北海道銀行は小樽銀行が06年に北海道商業銀行を合併して改称した銀行で、記載が一致すると判断できた。
永倉は1899年、還暦を迎えた後、単身で小樽へ転居しており、朝山さんは「永倉は長男を頼って、この家に数年間暮らした可能性がある」としている。義太郎は1903年に、幼い養子の道男を迎え、永倉は彼をとてもかわいがったと伝えられる。道男が永倉に映画館に連れて行ってもらった際に出口でヤクザにからまれたが、永倉が鋭い眼力と一喝で退散させたというエピソードは特に有名だ。
■貴重な発見
永倉は手記を残すなどして「新選組の生き証人」とも言われ、朝山さんは「その陰には義太郎の支えがあった。家族の絆を感じさせる場所が明らかになったのは意義深い」と話す。
「新選組永倉新八と会津藩士栗田鉄馬」展を開催している北海道博物館の三浦泰之・学芸部長も「永倉の生涯を考える上で貴重な発見だ」と評価している。