長嶋茂雄監督が若手を鍛え抜いた「地獄の伊東キャンプ」を鹿取義隆さんが回想…「夜に寝るのが怖かった」
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「ミスタープロ野球」長嶋茂雄さんが6月3日に89歳で亡くなった。現役を引退後、1975年のシーズンから巨人軍の監督を務めて、79年秋に行われたのが伝説の「伊東キャンプ」だ。この年は、栄光の9連覇(V9)から6年がたち、巨人はセ・リーグ5位に終わっていた。ポストV9世代の育成が急務の課題で、長嶋監督が有望な若手選手を徹底的に鍛えようと、静岡県伊東市で10月末から11月下旬にかけて長期間行った猛練習は、後世に語り継がれる「地獄のキャンプ」となった。18人のキャンプ参加メンバーに選ばれ、その後に巨人と西武で名リリーバーとして活躍した鹿取義隆さん(68)が回想する。
「技術より精神面、心のキャンプ」がテーマ
「私にとってはプロ1年目のオフの時期でした。巨人は9連覇が終わって、世代交代が大きな課題だった。シーズン後の秋に遠くまで出かけて長期キャンプを張るのは初めてだったようです。始まる前に、何だかきつい(内容)らしいぞ、という話は選手にも聞こえてきました」
長嶋監督はこの伊東キャンプのテーマについて「技術より精神面、心のキャンプ」と後に語っている。参加選手は以下の通り。いずれも20代の若手だった。
投手=江川卓、西本聖、鹿取義隆、角三男(盈男)、藤城和明、赤嶺賢勇
捕手=山倉和博、笠間雄二
内野手=篠塚利夫(和典)、中畑清、
外野手=中井康之、松本匡史、二宮至、
伝説の舞台となった伊豆の伊東スタジアムは、長嶋監督が立教大学野球部に入るためのセレクション(選考)を受けた場所で、巨人軍にとっても61年以来、18年ぶりのキャンプ地だった。
モトクロスのコースをランニング
「午前中はスタジアムでボールを使って練習。野手はバッティングと守備練習、投手は6人が3か所のブルペンで投球練習だった。江川さんら先発陣は張り合うように投げてました」
一日中、野球漬けという表現が大げさではない毎日だったという。野手は泥だらけになってノックのボールを追いながら、500本、1000本とバットを振って走り込み、夕食後にも素振りを繰り返したという。
「午後は走り込みでした。陸上競技場やゴルフ場、なかでも丘陵地にあった『馬場の平』は思い出深いです。オートバイのモトクロスのコースで、土がぼこぼこして傾斜もけっこうあった。1周数百メートルくらいだったか、それを上って、下って1周で、計10周走る。走り終えたら山のてっぺんの平らな場所で筋力トレーニング。午後の僕たちはまるで陸上選手でした。長嶋さんが見に来て、選手にはっぱをかける。ある時、誰かに『監督も走ってみてください』って言われて、長嶋さんも若かったから走ったことがありました。下の方で待ってたら、へとへとになって帰ってきて『いや、これはいい練習だな』って言ってました」
それぞれが「きっかけ」をつかんだ
選手たちの宿舎は伊東スタジアムに隣接していた。練習が終わって戻ってくると、体はくたくたで、夜に飲みに外出する元気もない。
「宿舎から下を見ればグラウンドがあった。心は休まらないですよ。僕らが起きて朝飯を食べるころ、松本さんはもうケージに入ってマシン打撃をやっていました。バットを一番振っていたんじゃないですかね」
猛練習の中で、選手それぞれが「きっかけ」を得たキャンプだったという。青い手袋をつけていたことから“青い稲妻”の異名をとった松本さんは俊足を生かすために右打ちからスイッチヒッターに転向すべく練習に取り組み、その素質を開花させた。角さんがオーバーからサイドハンドに取り組んだのもこのキャンプで、後にリリーフとして活躍した。
そして鹿取さんにとっても、忘れられないキャンプとなった。フリー打撃の投手をやった時のことだ。
「いろいろな球種を投げて、自分の技術を上げていくことも目的だった。中畑さんに投げた時に、球が内角をえぐって、足首に当たる自打球となってしまった。本当に申し訳なかったけれど、あの時はいつもよりもボールが落ちたような気がして、右打者のインサイドに投げる感覚をつかみました。ブルペンでもボールがおさまるようになって、シュートとシンカーに磨きがかかった」
自らの限界を知った猛練習
鹿取さんが長嶋さんと最後に会ったのは今年2月25日の、渡辺恒雄・読売新聞グループ本社代表取締役主筆のお別れの会だった。
「『おー、元気か』って感じで、左手でグータッチしてくれました。
46年近く前の伝説のキャンプを振り返って鹿取さんは話す。
「投手も野手も、自分の限界を知るという猛烈なトレーニングだった。夜に寝るのが怖かった。寝たら朝がきて、またあの練習が始まるかと思うと。それでもすごいのは、あんなに厳しい練習をやったのに、誰も大きなけがや故障をしなかった。中畑さんとか江川さんとか、あれから先の巨人を支えた選手が育ち、僕自身もプロ野球で長く選手生活を送れたのは、あの伊東キャンプに選んでもらったから。いろいろなことを教えてもらった。本当に感謝してます」(聞き手、編集委員 千葉直樹)