西成は誇り持てる街 臣永区長、今月末退任
完了しました
特区構想 閉校の学校に遊び場整備
大阪市西成区長の
決して西成と深い縁があったわけではない。1954年に徳島県で生まれ、フリーの週刊誌記者を経て、99年から故郷・旧那賀川町(現阿南市)の町長を2期務めた。その後、徳島大学病院の広報担当として働いていた時、大阪市が区長を公募していることを知った。
市内24区のうち、興味を持ったのが西成だった。日雇い労働者が多い「あいりん地区」があり、昭和の風情が色濃く残る「ディープな街」である一方、かつては暴動が起こるなど治安の悪い印象がつきまとっていた。
当時、市長だった橋下徹氏が「西成が変われば大阪が変わる」と発言し、区長の兼務にも一時、意欲を見せたことも気になった。そこまでこだわる西成とは何なのか、好奇心に突き動かされて公募に応じ、2012年8月に区長となった。
就任後、ラジオ番組にゲスト出演した際、リスナーの女子高校生から「西成出身と言うのが恥ずかしい」と言われ、返答に窮した。小学校で毎朝、薬物中毒者が投げ捨てた注射器がないか点検していると知った時も衝撃を受けた。「未来を担う子どもたちに西成は見放されてしまう」。危機感を募らせ、子どもたちが安心して遊び、学べる環境を整えようと決意した。
だからこそ、13年度に始まった市の西成特区構想で「プレーパーク」事業が実現し、うれしかった。同事業で閉校した小学校を自由に遊べる場として整備し、工作や楽器の演奏体験もできるようにした。「西成で楽しく遊んだ記憶ができたらいい。いつか地元に愛着を持つきっかけになる」
1期目を終え、母親の介護のため一時帰郷したが、再び公募に手を挙げ、21年4月から2期目が始まった。顔見知りでもない住民から「おかえり」と声をかけられた。いつの間にか、自分にとって西成が<第二の故郷>になっていたことに気づいた。
特区構想では、あいりん地区の環境整備やホームレスの就労支援、小中一貫校の整備など54事業が進められた。治安の悪いイメージは薄れ、町歩きや観光を楽しむ外国人、若者の姿が目立つようになった。隣接地域にリゾートホテルが開業するなど、街は確実に様変わりしてきた。
区長としての実績は「理想とはほど遠い」という。それでも「西成を好意的に捉える流れが生まれ、自分なりにできたこともあるのかな」と振り返る。
4月からは徳島に戻って畑仕事に精を出しつつ、夢に挑戦する西成の子どもたちを経済的に後押しする活動を始める。区長の立場ではできなかった支援で、この街にこれからも寄り添うつもりだ。