都市伝説になった「先駆者説」、風見しんごがブレイキンをテレビに出すまで…大物「何がやりたいんだ」
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来年のパリ五輪の正式競技に採用された「ブレイキン(ブレイクダンス)」。9月には世界選手権が開催されるなど、出場権を争う苛烈なレースが続いている。日本は五輪のメダル候補を多く抱え、世界的にも強豪とされるが、国内にブレイキンを広めたのは、あるお茶の間の人気者だったということをご存じだろうか。タレントの風見しんごさん(60)、その人に話を聞いた。(デジタル編集部 古和康行)
売れっ子タレントは突然アメリカへたった
「風見しんごがブレイキンを踊っていた……。若い世代には一時期、都市伝説のように語られていました」
8月。アメリカ・ロサンゼルスに語学留学中の風見さんは、読売新聞の取材でこう笑った。芸能界のトップを走っていた風見さんの経歴は、ブレイキンの発祥とされる「ストリート文化」とはおよそ無縁に思える。1982年にTBS「欽ちゃんの週刊欽曜日」で芸能界デビュー。以来、欽ちゃんファミリーの一員として活躍するテレビタレントとなり、83年には「僕笑っちゃいます」でレコードデビュー。バラエティー、映画、音楽とジャンルを問わず、やんちゃな人柄と端正な顔立ちでお茶の間を沸かせた人だ。
芸能生活40年を超えるベテランタレントとなった風見さんは、ある2枚のレコードを出している。「涙のtake a chance」(84年)「BEAT ON PANIC」(85年)の2曲だ。テレビの音楽番組などでも披露されたこの曲の振り付けに取り入れたことで、日本にブレイキンが広まった。
「当時はヒップホップという言葉すら
風見さんがブレイキンと出会ったのは83年のこと。映画「フラッシュダンス」(エイドリアン・ライン監督)を都内の映画館で見たことがきっかけだった。劇中、ブレイキンが出てくるのは「数十秒程度」(風見さん)で、子どもが路上でバックスピンをしているシーンがチラッと映るだけだったという。「何だこの動きは」――。一瞬でその動きの
だが、ブレイキンを教えてくれる人はいない。「歌舞伎町のディスコであのダンスを踊っている人がいるらしい」などのウワサは耳にしても、その実態はつかめなかった。風見さんは「本場で学ぶしかない」と思い立ち、アメリカへ飛んだ。
押し売りのビデオ、内容は「全部同じ」
アメリカに行ってもダンス教室があるわけではなかった。路上に足を運ぶと、子どもたちが段ボールを地面に敷いてブレイキンを踊っている。その前には箱や帽子が置かれており、その姿はさながら「大道芸」のよう。それでも約10日間の旅程で、毎日のように朝から晩まで足を運び、本場のダンスを吸収した。回転技などのパワームーブの他にもハンドウェーブやロボットダンスの技術を片言の英語で学んだ。
あまりの熱心さに現地のダンサーたちは「自分たちのダンスを収めた良いビデオがあるから、これを日本に帰ってから見るといい」とビデオを売ってくれた。あるダンサーから買えば近くで踊っていた別のダンサーが「いやいや自分たちのほうがうまい」。少しでも多くの技術を持ち帰りたいと思っていたから、すすめられるがままにビデオを購入した。帰国後、再生してみると「全部内容は同じだった」という。
視聴率100%男の怒気をはらんだ「何がやりたいんだ」
売れっ子のタレントが海外に行って、新しいダンスを学んで帰ってきた――。今なら話題になり、披露する場所も即座に作られそうだったが、80年代の芸能界でブレイキンをテレビで披露するのは「大変だった」。