「懸賞生活」乗り越え、喜劇俳優の「自分だからこそできること」…1998年1月[あれから]<52>
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エベレストの頂から「福島は絶対に復興します」
頂上まであと数時間だった。8700メートル地点にたどりついたが、酸素ボンベの残量が足りない。13年春の初挑戦は、途中で引き返さざるを得なかった。ふがいなさに、むせび泣いた。「売名行為」。インターネットでたたかれても、めげなかった。
再挑戦のため、ネットで寄付を募るクラウドファンディング(CF)で費用の調達を始めた。集まりが悪く、600万円の目標額の達成は難しいと思われた。その時、救世主が現れた。
懸賞生活以降、疎遠になっていた土屋さん。ネット番組で協力を呼びかけてくれ、一気に寄付が集まった。土屋さんは「借りがあると思っていた。電波少年の出演者は全面的に応援すると決めていた」と振り返る。
面白さを追求した結果、なすびさんの心を傷つけてしまったという後悔があった。直接会ってその気持ちを伝え、頭を下げた。15年越しの雪解けだった。
登頂への道は険しかった。2度目は雪崩、3度目はネパール大地震で中止。気持ちが折れかけたが、自分がやると決めた以上、諦めるわけにはいかなかった。
16年5月、ようやくたどりついたエベレストの頂は、晴れ渡っていた。「ここが世界一高い場所なんだ」。涙がこぼれた。記録用のビデオカメラに語りかけた。
「人間、やればできるんです。福島、そして東北は絶対に復興します」。羽織っていたのは「ふくしま」の文字が記された法被だった。
今も付き合いがある近藤さんは「バカがつくほどまじめ。何でもひたすら一生懸命に頑張る姿が、人の心を動かす。スターではないけど、人を前向きにさせる」と語る。
「100億円積まれても二度とやらない」…でも
東北だけではない。16年の熊本地震や今年の能登半島地震。災害があれば、ボランティアとして現地に赴く。根底にあるのは、大震災の時に支援してもらった「恩返し」をしたいという思い。
孤独のつらさが身にしみたから被災者に寄り添えるのだと思う。懸賞生活は「100億円積まれたとしても、二度とやらない」。でも、あの苦しみを乗り越えたから今がある。一人でも多くの人を笑顔にしたい。自分のやり方で、地道にコツコツ進んでいく。
押田健太 おしだ・けんた 2017年に入社し、盛岡支局で東日本大震災の被災地を取材した。23年9月から東京社会部。「電波少年」は見ておらず、企画の過激さに時代の変化を感じた。懸賞に当たったことは一度もない。30歳。