「懸賞生活」乗り越え、喜劇俳優の「自分だからこそできること」…1998年1月[あれから]<52>
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目隠しを外すと、6畳一間のアパートだった。ちゃぶ台に、はがきが積まれ、ラックには雑誌が並んでいた。「いったい何をやらされるんだ」
1998年1月、型破りな企画で人気のテレビ番組「電波少年」で新コーナーが始まった。挑戦者に選ばれたのが無名のお笑い芸人、なすびさん(49)=当時22歳=。
テーマが明かされる。「人は懸賞だけで生きられるのか」。食料も着る物も当選して入手しろという。裸になるよう命じられ、こう告げられた。「テスト企画だから、放送されるかどうかもわからない」
雑誌をめくり、懸賞を探す。200枚のはがきにペンを走らせる日々。その姿が毎週放映され、人気者になるなんて思ってもいなかった。もちろん、孤独な極限生活が1年2か月超に及ぶことも、知らない。(社会部 押田健太)
人生一変、たった1回のくじ引き
たった1回のくじ引きが人生を一変させた。
大雪が降った1998年1月15日、東京都内のビルで、日本テレビの人気バラエティー番組「電波少年」のオーディションが行われていた。集まったお笑い芸人20人ほどの中に、なすびさん(49)もいた。
「運だけが必要な企画だから、これで出演者を決めます」。差し出された抽選箱から順番に三角くじを取っていき、一斉に開く。当たりの文字が見えた瞬間、「奇跡が起きた」と思った。
国内外の著名な政治家や芸能人を「アポなし」で直撃し、海外をヒッチハイクで巡る。過激な企画で人気だった番組への出演は、有名になる大チャンスだった。
ドッグフードで飢えしのぎ、コメ当たり「当選の舞い」
新企画の内容は雑誌やラジオの懸賞に応募し、当てた賞品で暮らす「懸賞生活」。放送されないかもしれないと言われたが、スタッフに顔を売れればいいと思っていた。
当選品の総額が100万円に達したら、部屋を出られるルール。簡易型携帯電話(PHS)は取り上げられ、外部との接触は禁じられた。精神状態を確かめるため毎日、日記を書くよう指示された。
〈私は
これ以降、乾パンの支給はなくなった。食べ物が途絶えた時は、ドッグフードを口にして飢えをしのいだ。「トントン」。玄関をノックする音がすると、胸が高鳴る。当選品で一番うれしかったのがコメ。狂喜乱舞する姿は「当選の舞」と名付けられた。
「笑わせようとなんて一切思っていない。太古の昔から、人間は生きられる喜びを実感すると、歌い、踊る。感情が爆発すると、自然とそうなるんですよ」
本名は浜津智明。福島県警の警察官の父と専業主婦の母の間に、長男として生まれた。まじめで勉強ができた。物心ついた頃から自分の細長い顔が、嫌いだった。
小学校の頃のあだ名は、漫画「キン肉マン」に登場する顔の長いキャラクター「ラーメンマン」。からかわれ、仲間外れにされた。ある日、大好きなお笑い番組を見ていてひらめいた。
「バカなことをやれば状況が変わるかも」。休み時間、志村けんさんのギャグ「アイーン」を披露した。面白いやつだと思われ、徐々に友達が増えた。
父親の異動で小学校だけで2回転校した。いじめられ、笑わせて仲良くなるという繰り返し。「人を楽しませれば、周りも自分も幸せになれる」と考えるようになった。
高校卒業時、両親に「芸能界を目指したい」と打ち明けた。憧れは渥美清さんのような喜劇俳優。大反対され、東京の専修大に進学した。諦めきれず、隠れてお笑いのオーディションを受け続けた。
「お前、すげえ顔しているな」。ほかの参加者から口々に言われた。幼い頃からコンプレックスだった長さ30センチほどの顔が、武器になると知った。アルバイト先で顔の形が「なすび」に似ていると言われ、名乗り始めた。
ある日、芸能活動をしていることが親にばれる。母親は大学卒業までの活動を認めてくれたが、条件を出された。「裸でテレビに出ない」。だから、懸賞生活で服を脱ぐよう命じられた瞬間、真っ先に母親の顔が頭をよぎった。