魚雷で沈んだ学童疎開船対馬丸の航路、児童が追体験…遺体流れ着いた島で黙とう「悲しみは残り続けるんだ」
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癒えることのない遺族の悲しみにも直接触れた。
「『向こう(本土)で会えるから、ひでちゃん、先に行っとってね』と船を見送ったの」。兄の宮里秀雄さん(当時13歳)を失った鹿児島県奄美市の守田アキさん(90)は時折、ハンカチで涙を拭いながら話をしてくれた。沖縄出身で結婚後に奄美に移住。思い出すのもつらい記憶を公に語ることはなかったが、今回は「(子どもたちに)聞いてほしい」と応じた。
対馬丸への乗船が決まると、兄は「友達と本土に行ける」と喜んだ。海軍に入るのが夢で、船がとても好きだった兄。1週間後に別の船で向かうことが決まっていた母親と守田さんも、那覇港から船影が見えなくなるまで見送った。
兄の死を知った母は、水にぬれた兄が「寒い、寒い」と夢に出てきて眠れなくなった。兄の同級生が訪ねてきても、会おうとしなかった。苦しむ母の姿をそばで見続けた守田さんも長年、悲しみを抱えてきた。
一言一言絞り出すように語る言葉に耳を傾けた小学6年の児童(12)は「悲しみは、遺族の中にいつまでも残り続けるんだと思った」と語った。