小林多喜二ら政治犯収監「旧中野刑務所」、正門を後世に…区が跡地購入へ
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小説「蟹工船」などを残したプロレタリア作家・小林多喜二(1903~33年)が収監されたことで知られる「旧中野刑務所」の跡地について、東京都中野区は国から100億円超で購入する方針を固めた。購入費を盛り込んだ補正予算案を11月開会予定の区議会定例会に提出する。跡地には小学校を建てる計画だが、大正時代の希少なれんが造りの正門が残っており、区は保存も進める。(増田知基)
三木清が獄死
中野区新井にある旧中野刑務所は1915年(大正4年)に完成。元々、江戸時代に小伝馬町にあった
戦後は米軍が接収。返還後の57年から「中野刑務所」に名称を変えて国が使用したが、移転を求める住民運動を受けて83年に閉鎖した。
現在は濃いピンク色とかまぼこ形の屋根が特徴の正門(高さ約9メートル)だけが、完成当時の面影を残す。文化財としての価値を区教育委員会に諮問された区文化財保護審議会は今年7月、技術的・意匠的に「極めて重要」と答申している。
「天才」の名建築
正門が貴重なのは、19年に35歳で早世した建築家・後藤慶二が設計した唯一の現存作品だからだ。後藤は東京駅を設計した辰野金吾の弟子で「若き天才」と呼ばれた人物。神奈川大の内田青蔵教授(近代建築史)によると、曲線的な屋根などは、感情など人間の内面のゆがみを表すオランダ建築の一派の影響が見られるという。
内田教授は「罪人を懲らしめることが目的だった監獄は大正時代に入ると、社会復帰を目指す矯正施設としての刑務所に役割を変えた。一流の建築家によるれんが造りは、日本が罪人の人権にも配慮する近代国家となったことを示している」と説明する。
その美しさは、当時の文学作品などにも書き残されている。
19~20年に入獄した大杉は、〈この監獄の造りは、今までいたどこのともちょっと違う(中略)。まだ新しいのできれいで
課題は保存方法
一方、刑務所跡地は児童数が増えた隣の区立平和の森小学校の移転用地になっており、門の保存方法などを巡って議論が続いている。
酒井直人区長は昨年2月、門を動かさずに「現地保存」することを発表。これに対し、「門を残すと学校の用地が狭くなる」などとの指摘が保護者らから上がった。
区はその後、現地を調査し、建物を解体せずに移動させる
区内在住で、政治犯らを研究する東京大の阿古智子教授は、「この門は文学や歴史など学問と深く結びついている。戦争が起きた社会的背景や、平和の意味を学ぶため、区は教育現場との共存を図ってほしい」と話している。