[掛布雅之物語]<19>引退決意、揺らがなかった理由は「田淵のあの言葉」
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年齢を重ね、掛布の体はあちこちがきしんでいた。入団14年目の1987年は腰痛の影響で極度の打撃不振に陥り、6月には一軍選手登録を抹消された。結局、出場106試合で打率2割2分7厘、45打点、12本塁打。翌88年も開幕から打棒は振るわず、チームに貢献できない日々に、じくじたる思いだけが募った。
試合後、自宅で電気治療器を患部にあてる日々が続いた。朝は体の痛みと格闘しながら起き上がり、湯船にゆっくりとつかってから球場に向かった。それでも体が悲鳴を上げ、7月中旬から長期離脱を強いられた。
そんな生活を間近で見ていた妻の安紀子に、シーズンが中盤にさしかかった頃、こう言われた。
「パパ、もう無理しなくていいよ」
掛布の頭に、「引退」の二文字が浮かんだ瞬間だった。引き際を意識するようになると、違う感情が頭をもたげた。
「テスト生みたいな選手が曲がりなりにも、阪神の4番を務めた。よくやったじゃないか、と自分を納得させようとする弱い自分が出てきた」
88年9月14日、掛布は33歳の若さで現役引退を表明した。他球団からの誘いもあったが、決意が揺らがなかったのには理由がある。それは、78年オフに西武への移籍が決まった田淵幸一に言われた、あの言葉だ。
「お前は、俺のようになっちゃだめだ。縦じまのユニホームを着続けろ」(敬称略、随時掲載)