長嶋茂雄・巨人軍終身名誉監督が死去、89歳…巨人の黄金時代築いた「ミスタープロ野球」

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2018年3月、読売新聞のインタビューに答える長嶋茂雄さん
2018年3月、読売新聞のインタビューに答える長嶋茂雄さん

 プロ野球・読売巨人軍の選手、監督として活躍し、「ミスタープロ野球」と呼ばれた長嶋茂雄・巨人軍終身名誉監督が3日午前6時39分、肺炎のため、都内の病院で死去した。89歳だった。

 1936年、千葉県臼井町(現佐倉市)生まれ。佐倉一高(現佐倉高)から立教大に進み、東京六大学リーグでは、57年秋に、当時の六大学記録を破る通算8本塁打の新記録を作った。

 58年に巨人に入団し、打点王、本塁打王の2冠に輝いて新人王を獲得。翌59年には、初の天覧試合でサヨナラ本塁打を放つなど、無類の勝負強さで、ブームを巻き起こした。王貞治選手とのコンビは「ON」と呼ばれ、65年からのV9の中心選手として、黄金時代を築き上げた。

天覧試合の巨人対阪神戦で、9回裏無死、サヨナラホームランを放つ(1959年6月25日)
天覧試合の巨人対阪神戦で、9回裏無死、サヨナラホームランを放つ(1959年6月25日)

 背番号「3」は巨人軍の永久欠番。74年、後楽園球場で「わが巨人軍は永久に不滅です」の名言を残し、17年間の現役生活に別れを告げた。同時に巨人監督に就任し、2度のリーグ優勝を果たした。93年に巨人監督に復帰。3度リーグを制し、94年と2000年には日本一に輝いた。01年に勇退し、終身名誉監督となった。

 03年にはアテネ五輪アジア予選で日本代表監督として指揮を執り、予選を突破したが、04年3月、脳 梗塞こうそく を発症し、五輪での指揮を断念した。それでも懸命にリハビリに打ち込み、「もう一度、走りたい」と目標を掲げ、回復に努めた。13年には巨人で指導した松井秀喜さんとともに、国民栄誉賞を受賞した。21年の東京五輪では王さん、松井さんと3人で聖火ランナーを務め、同年秋、野球界から初となる文化勲章を受章した。

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