戦時色が濃くなりキリスト教敵視、奄美大島で激しい弾圧…教会の鐘が持ち去られたが50年後帰還
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キリスト教信仰が盛んな鹿児島県・奄美大島で暮らす信徒たちは太平洋戦争の前後、厳しい迫害を受けた。奄美市笠利町の
アンゼラスの鐘は多くのカトリック教会に設置され、祈りの時間を知らせるために鳴らされる。大笠利教会の鐘の正確な大きさは不明だが、一人では抱えきれないほどの胴回りで、高さ11メートルの鐘楼に取り付けられている。
同教会発行の記念誌などによると、奄美大島では1891年頃、外国人神父によって本格的なキリスト教の布教が始まり、1904年に仮教会が置かれた。鐘は教会創立25周年に合わせてフランスで作られ、設置後は信徒たちの心のよりどころとなっていたという。
しかし、31年に満州事変が起こり戦時色が濃くなると、軍部はキリスト教を敵視するようになった。特に
34年、外国人宣教師が島外に追放され、鐘が何者かによって持ち去られた。36年には教会が放火され、全焼した。鐘は島内で競売にかけられているのを信徒が見つけて買い取り、宮崎県の教会関係者宅に移された。そこで終戦まで隠し通されたという。
戦後の52年、かつて島内で宣教師を務めていた外国人神父が埼玉県内に聖堂を建てることになり、鐘を取り寄せた。大笠利教会に返すことを考えたというが、主任司祭の内野洋平さん(47)は「当時の島は米軍の統治下。自由に物を送ることもできず、あきらめた」と説明する。
鐘が同教会に戻ったのは84年。同教会の関係者が返還を求める嘆願書を送ったことがきっかけだった。同教会に戻ってきた際には歓迎式が開かれ、信徒だけでなく、地域を挙げて出迎えたという。
86年に完成した鐘楼の前に立つ記念碑には「里帰りしたアンゼラスの鐘が再び祈りと平和を告げるその音を鳴り響かせる」と記されている。ただ、鐘楼の老朽化が進み、今は鐘は鳴らされていない。内野さんは「戦争による混乱の時代を生き抜いた鐘は平和の証し。平和への思いとともに次世代に継承したい」と話す。
[記者メモ]鐘の音、再び響く日を
奄美大島で広くキリスト教が受け入れられていることを知った。カトリック鹿児島司教区によると、島内には29のカトリック教会があり、約3000人の信徒がいる。
自然に囲まれた今の大笠利教会の穏やかな雰囲気からは、かつての困難な歴史は感じられない。しかし、それだけに、歴史が刻まれたアンゼラスの鐘の存在意義はますます高まっている。平和の大切さを伝える象徴として、再び鐘の音が響く日を願う。(小園雅寛)