萱島: 教会の中で点されているキャンドルって、ユラユラしてすごく幻想的ですからね。子どもにとっては刺激的で神秘的なものだったんでしょうね。そんな幼少時代から実際にキャンドルを作り始めたきっかけは、どんなことだったんでしょうか。
CJ: 教会的な教えもあったんだろうと思いますが、幼い頃から起きている間中、自分はなぜ生まれてきたのか、何のために生まれてきて何をすべきでないのかという問いが自分の中にずっとありました。とはいえ、親元にいる間は、そこまで真剣に向き合わなくてよかったんですけど、18歳か19歳の頃から1人暮らしを始めるようになって、生きるために必要な家賃を払うとか、ご飯を食べるとか、そのために日常をほぼ費やす生活になった時、いよいよこのクエスチョンと向き合わざるを得なくなったんです。
自分が18歳とか19歳の頃ってポジティブとかネガティブという言葉が流行り始めていた時期で、周りの人たちは「難しく考えないでポジティブにやれることをやれよ」みたいなことをいっていたんですけど、自分が何のために生きているのかが分からないのに、そのままにしているほうがネガティブじゃないかと思って、寝る・食べる・飲むという生きるために必要なことをやめて、自分自身と問答しようと思った時、部屋にキャンドルがあったんです。
萱島: その頃からすでにキャンドルが欠かせないものになっていたのですか。
CJ: 教会での体験はありましたが、決してそういうわけではありません。ただ、部屋のインテリアにこだわった時期があって、その時に買っていました。
それで、最初は部屋にキャンドルを点しながらライティングを落として音楽をかけ、自分なりの瞑想をしてみました。その時、自分はすでに自分の中にあるんだと思っていたので、それと向き合おうと考えて、そんな空間を作っていったんですね。実際に外に出て体験して自分自身を見いだすのではありませんでしたが、いわば自分探しの旅に出たわけです。
その中で結局、音楽も誰かが作っているものなので、その人の主張が聞こえてしまうような気がして、そこから引き算をしていったらローソクだけになって、ローソクを点しながらずっと問答を続けていくということをしていました。
萱島: なるほど。それがキャンドルとの出会いというわけですね。
CJ: ええ、そうなりますね。
(第2話に続く)