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「愛情伝えたい」/音信不通
子どもと暮らせなくなった親の悲しみは深い。
「会うなり『パパ』と言って抱きついてくれる。全力で楽しませたいが、会った後のことを考えると実は気が沈む」
近畿地方の40代男性は幼い2人と離れた喪失感から不眠症になり、通院している。
一緒に暮らした頃は休日などに外でよく遊び、食事や入浴の世話もした。取り決めにより、会えるのは月1回。それがかえって会えない間の寂しさを強める。関わる機会が減り、「2人に申し訳なく思う。もう少し回数が増やせたら」と願う。
関東地方の50代男性は3年以上、息子と会えずにいる。宛てた手紙やプレゼントを元妻は受け取ってくれない。
夫婦げんかの後、離婚を切り出され、ある日、妻子がいなくなった。この間に息子は小学生になった。急に会えなくなり、今も傷ついてはいないだろうか。スマートフォンに残る写真はつらくて見ることができない。
「一緒に住めなくなったけど、パパは君を愛している。何とかしてそう伝えたい」
■問われる姿勢
子どもとの時間を切実に求める親がいる一方で、会おうとしない親も存在する。
ひとり親世帯を対象にした厚生労働省の2021年度調査では、子どもを別居親に会わせ続けている母親は30・2%、父親は48・0%で、会わせたことのない母親は45・3%、父親は31・6%だった。会わせない理由は母子世帯で「相手が求めない」「子どもが会いたがらない」の順に多く、父子世帯も「相手が求めない」が「子どもが会いたがらない」に次いで多かった。
長男(18)を5歳の頃から一人で育ててきた関西地方の50代男性は「出て行った元妻は息子に関心がないようだった」と思い返す。
元妻は1年半ほど動物園などで長男と会っていたが、次第に仕事を理由に直前でキャンセルすることが増えた。
〈息子が一番大事でないなら、交流はやめませんか〉
メールでそう伝えて以来、音沙汰はない。男性は「父母の価値観が異なり、物理的にも離れてしまうと一緒に子育てするのは難しい」と語る。
一方で、関東地方の30代女性は元夫と関わり続けるしんどさを訴える。
「子どもに両親の愛情を感じてほしい」と考えたが、直接会うのは苦痛なため、親子交流の支援団体に子どもへの付き添いを依頼。6年前から月1回会わせたが、子どもが発熱したのに切り上げようとせず、付き添いのスタッフに注意されても聞かなかった。約束の日に待ち合わせ場所に現れず、子どもがショックを受けたことも。「毎回のようにトラブルがある。この交流は本当に子どものためになっているのだろうか」と女性は悩む。
■主役は子ども
別居親と子どもの関わりは時間の経過とともに変わっていく可能性もある。
『離婚と面会交流』の編著者で東京家庭裁判所調査官の町田隆司さんは、親子交流の類型を▽子どもが両親の元を自由に行き来する▽第三者の支援を受けて行う▽虐待があったり、子どもが強く拒否したりして実施を控えるべきケース――に分けられるとする。
主役は子どもであり、「子の福祉(利益)にかなうか」を最優先にどの段階にあるかを考える必要があるとした上で、「暴力などの問題でいったんは交流を控えることを決めたとしても、カウンセリングなどの支援で課題が改善されれば、交流できるようになる場合もある」と話す。
葛藤を抱えつつ、交流を続けた人もいる。
関東地方の50代女性は実家が遠く、自分が倒れた時には近くで暮らす元夫に任せざるを得ないと考え、親権争いが続く中でも、娘が小学生の頃から元夫に会わせてきた。
「最初は嫌で仕方がなかった」。依頼した支援団体のスタッフに付き添われ、戻ってきた娘から交流の様子を聞かされるのも耐えがたかった。だが離婚が成立し、娘の進路や受験など日々の対応にも追われるようになると、元夫に対する抵抗感は薄れていった。
10年以上交流を続け、大学生になった娘は今、通学に便利な元夫の家で暮らす。「私も元夫も子どもを支える関係を続けられた。会わせていて良かった」。そう実感している。
心さまよう子も
父親に「母親は産後すぐ死んだ」と聞かされて育った50代男性
母が生きていることを高校生の時に知り、「だまされていたのか」と思った。大学卒業後、うつ病になり、カウンセリングを受けて生い立ちを見つめる必要性を感じ、26歳の時に母に会いに行った。自分の中で空白だった母親像が埋まり、父母が離婚したことにも納得ができて、前を向けるようになった。
別れた親と会わなくても人生がうまくいく人はいる。でも、会えないことで一生、心がさまよう人もいる。子どもが親に会いたいという気持ちを否定してほしくない。