サンドラがみる女の生き方

「伝統だから」はどこまで通用するか、女人禁制を考える

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「#MeToo」の流れで、女性が声を上げやすくなったおかげで、様々なセクハラの事例が表面化しています。セクハラは「完全に悪いこと」と認定されつつあるのは喜ばしいのですが、その一方で課題が残るのが「伝統」の世界です。

「伝統」を問題視するのはお門違い?

写真はイメージです
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今年4月に京都府舞鶴市で行われた大相撲巡業の際、土俵でスピーチ中に倒れた市長の応急処置をする女性に、「女性の方は土俵から下りてください」とアナウンスが流れ、物議を醸しました。この「事件」に関しては、国内ニュースだけにとどまらず、欧米メディアではしき女性差別の例として紹介されました。

国内では、様々な見方がされています。「女性が土俵に上がれないこと自体が差別であり、一刻も早く改善されなければいけない」という声があがる一方で、「緊急事態においては女性が土俵の中に入るのもやむを得ないが、基本的には女性は土俵に上がるべきではない。それが相撲の伝統」という意見も。つまりは「(土俵の女人禁制は)伝統なのだから、今の感覚でとらえて、女性差別だと騒ぐのはお門違い」というわけです。

女人禁制を変えたカトリック教会

しかし、「伝統」は、時代とともに変化しています。保守的とされる英国王室が一昔前なら許さなかったであろう、離婚歴があり、アフリカ系の母を持つ、エンターテインメントビジネス出身のメーガン・マークルさんとヘンリー王子との結婚を認めたように。

大勢の人に祝福されたヘンリー王子とメーガン妃(ロイター)

同じく保守的とされるヨーロッパのカトリック教会でも、男児や男性に限っていた、神父に奉仕する「ミサの伴僧」を、1980年代から女児や女性にも内々で認めるようになり、1992年には当時のローマ法王が公式に女性の伴僧を認めました。

女性には生理があり、かつ「誘惑者」として警戒されていたため、かつては「女性は祭壇に上がるのはふさわしくない」と思われていました。現在のドイツではカトリック教会のミサの伴僧者の数は男性と女性で約半分ずつとなっており、数字的にもよいバランスがとれています。

どんなに長い歴史や伝統があろうとも、現場の人、そして何よりも組織のトップの人が「変えよう」と思えば、変えられるということ。まさに「やればできる」のであり、逆にいえば、何も変わらないということは、トップの人にやる気がないだけともいえるでしょう。

女の子は顔が命?

相撲といえば、静岡市で開催された「ちびっこ相撲」で「安全確保」のために女児が出場できない騒動もありました。説明の際に日本相撲協会の芝田山広報部長(元横綱大乃国)の「女の子が万が一、けがをして顔に傷でも付いてしまったら」という発言に「なんだか嫌な感じ」をおぼえました。

「顔に傷があるとお嫁に行けなくなる」的な「女の子は顔が大事」という価値観が透けてみえたのでした。ちなみに「顔に傷」発言は、協会内で共有されている考え方とのことです。女人禁制は「伝統だから」「神事だから」という意見がありますが、発言を聞いていると、それ以前に、女性に対する差別意識が根強いのでは、と感じてしまいます。

女性のすし職人が少ないのは……?

伝統芸能・文化の世界でも後継者は男性のみというものは少なくないですし、明確に女性を排除する規定はなくても、慣習的に男性の仕事とされてきたものもあります。例えば、すし職人。「職業はたくさんあるのだから、女性がすし職人にならなくても」という声もありますが、ある職業に性別が理由で就きにくい、というのは決してささいな問題ではありません。

「女性は体温が高いから、握りの鮮度が下がる」という説も流布しているので、冷え性の女性なら大丈夫なのでしょうか……? 冗談はさておき、要は「男社会に女を入れたくない」が本音だったのでしょう。でも、最近は女性のすし職人も活躍しています。男性と女性のすし職人が和気あいあいと働けるのが今の時代の理想ではないでしょうか。

世間には「伝統の世界」は「一般の社会」とは違うという声もあります。では、一般社会で女性の立ち位置は高いのかというと、残念ながらそうではなく、男女の平等度を示す指数で日本は144か国中114位(世界経済フォーラム報告より)。悲しいことに、今のところ伝統の世界も一般の世界も女性には優しくない、ということです。

伝統の世界は、メディアを通して人の目に触れ、無意識のうちに「家族」というもののロールモデルになっていたりもします。その「家族観」のようなものを通して、「女性は一歩ひいて男性を支えるのが素敵すてきなんだ」と世間に思わせてはいないだろうか、と気になってしまいます。もちろん当事者には何の罪もないのですが……。

全てはつながっている

そう考えると、最近明らかになっているセクハラの数々も、「女性を排除する『男だけの世界』がある」⇒「結果として、女性の要望を気にかけない」⇒「従来の男性の価値観でセクハラを起こしてしまう」という構図が見えてくるのでした。

もちろん男性が多い組織だからといって、即セクハラが起こるわけではありません。が、組織の決裁権のあるポジションに男性しかいない場合、女性に対するセクハラは起きやすいですし、起きた場合も何かと対応が遅れがちです。決定権のあるポジションに男性も女性も同等の数がいると、バランスがとれ、セクハラが当たり前のように蔓延まんえんするような「空気」にはなりにくいです。

そもそも「普段は全く差別されていないのにある分野に関して『のみ』差別されている」ということは差別問題においてはまれで、「色んな所で起きる『小さな差別』が当たり前のように積み重なり、広がりを見せ、結果的に大きな差別につながっている」ことが少なくありません。「伝統分野で女性は後継者から排除されているが、一般社会においては同等に扱われている」ことはないのです。伝統を重んじるあまり、今の社会に合わない価値観を温存しないよう、制度・規定や慣習を変える時が来ているのではないでしょうか。

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プロフィル

サンドラ・ヘフェリン
サンドラ・ヘフェリン
コラムニスト
ドイツ・ミュンヘン出身。日本在住20年以上。日本語とドイツ語の両方が母国語。自身が日独ハーフであることから、「多文化共生」をテーマに執筆活動中。ホームページ「ハーフを考えよう!」。著書に「なぜ外国人女性は前髪を作らないのか」(中央公論新社)、「体育会系 日本を蝕む病」(光文社新書)など。新著は「ドイツの女性はヒールを履かない――無理しない、ストレスから自由になる生き方」(自由国民社)。
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