瀬戸際の七瀬ちゃん

イギリスで学歴と年齢だけが上がって痛感した「日本に帰れない」

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ロンドンの小さなシェアルームの一室で、スマホをつかんでいた私の両手がフリーズした。

“I don’t think we should see each other anymore, Nanase.”

パリで働く3歳年下のリトアニア人の彼氏は、もう会うべきじゃないと、ビデオチャットの向こうから不意に別れ話を切り出した。

“I don’t believe in marriage, and with climate change happening, I don’t need kids.”

結婚なんて考えられない。ましてや、子どもを持つなんてありえないって。それに、気候変動って言った今? どうして、気候変動が別れ話に登場してくるの。どう反応していいのかわからなくなる。

でも、ちょっと待って。地球温暖化は人類にとって深刻な問題だけど、3年半付き合った彼から「別れたい」と言われている30代半ばの女だって相当に危機的な状況だ。

悲しみと怒りに飲み込まれそう。何か言わないと。私は慌てて口にした。

リトアニアの首都ヴィルニウス。中心街の博物館からのオールドタウンの眺め(2020年12月)
リトアニアの首都ヴィルニウス。中心街の博物館からのオールドタウンの眺め(2020年12月)

「パートナーシップは考えられない?」

思いつきだったが、それなりの代替案だった。でも、私という荷物を振り払いたい彼は、所在なげに目をそらすだけだった。

「私に不満があるなら直すから言って」
「結婚も子どももいらないから、考え直して」

そう言って泣きつけば、状況は変わったのだろうか。でも、30代の私は、別れ話をする相手の結論が説得で変わるなんてあり得ないことくらい知っている。

“All the best.(幸せを祈ってるから)”と言って通話を切ると、2人の関係はあっけなく終わった。

人それぞれ生き方は自分で選べばいい

慶應の大学院で修士課程を修了した私は、研究を続けるため20代後半になってイギリスに渡った。様々な国籍や人種が集まるこの国で、生活スタイルや価値観の多様性を肌で感じた。

日本で経験した「恋愛」も、日本では疑問を抱くこともなかった「結婚観」も、家や学校で身に付けた日本の“常識”も、すべてが当たり前ではなかった。

日本は生きづらかった、と気づいてしまった。

日本で大学卒業とともに就職する女性は、その後もキャリアを積み重ねつつ、恋愛や婚活を経て、結婚、出産、子育てへとライフステージを変えていく。

でも、イギリスで出会った女性たちは、シングルマザーで博士論文に打ち込む研究者や法律婚をせずパートナーシップを続けるカップル、子どもを持たないと決めたキャリアウーマンなど人それぞれ。生き方や暮らし方は自分で選べばいいということを、私は教わった。

日本の”常識”から大きく道を外してしまった私は、30歳になった頃、考え方を真逆に振り切り、「結婚なんてしなくていい」「子どももいらないかも」と思っていた。

そのはずだった。なのに、恋人に振られてみると、「それ相応の年齢になって長く付き合っていたら、結婚がおのずとやってくる」という期待が、心の奥深くに染みついたままだったと思い知らされた。

結婚したいのか、したくないのか。子どもが欲しいのか、それとも、欲しくないのか。

「やっぱり結婚したい」と意気込む日もあれば、「もう結婚なんてどうでもいい」と投げやりになることもある。そろそろ、自分で選ばなければいけないと焦りながらも、運命の人が突然現われて、あれよあれよという間に結婚するのかもしれない、という妄想を捨てきれない。

「隙のある女性って、やっぱりかわいい」

ケンブリッジの中心街に位置するケンブリッジ大キングスカレッジ。普段は学生と観光客でごったがえしている(2020年3月)
ケンブリッジの中心街に位置するケンブリッジ大キングスカレッジ。普段は学生と観光客でごったがえしている(2020年3月)

「日本に帰ってきて、大学に就職して、結婚すればいいじゃないか。まだ今なら間に合うだろう、結婚も。イギリスで何をやっているんだ?」

結婚、年齢、仕事……。ハラスメントを詰め合わせにして、父は素直に投げつけてくる。安定した職に就いているわけでもなければ、将来を約束したパートナーもいない。異国で何をやっているとも言いがたい私に、「日本に帰ってこい」と言うのは親として当然だろう。

でも、日本には帰りたくない。いや、帰れない。

学歴と年齢だけ上がってしまった女性が身を置ける場など、日本社会にはないと思い知らされることは少なくない。

例えば、ケンブリッジで開かれた若手研究者が集まる日本人会で、話題が恋愛トークになったときのことだ。

「隙のある女性って、やっぱりかわいい」と30代の男性が女性の好みを語ると、「あ-、それ、わかります」と40代の男性が大きくうなずいて共感を示す。

日本人男性はいまだにこんなことを言っているのかと、私はぞっとした。女性に「隙」を求めるなんて、日本人以外に聞いたことがない。

彼らが言う「隙」って、一体なんなのだろう。恋愛コーチたちによれば、誘いやすい雰囲気、素直で甘え上手、親しみのある笑顔……、という意味だそうで、男性にモテる要素なんだとか。さらに恋愛上級者を目指すなら、「たまに、わがままに振る舞ってみる」ことも必要らしい。

幼い頃から「わがままを言ってはいけない」「素直なよい子でいなさい」と家や学校で言われて育ったのに、大人になっていざ恋愛の重大な局面で「わがままに振る舞え」って。日本人男性が好む「隙を見せつつ、自己主張をする」方法なんてだれも教えてくれなかった。

父よ、たぶん、もう間に合わない。「隙なんか見せてたまるか」と思っている底辺研究者の私に、日本という受け皿はない。

現われるはずの「運命の人」を探しに行く

ケンブリッジの街の中心を流れるケム川。川下りを楽しむのは夏の恒例行事(2019年8月)
ケンブリッジの街の中心を流れるケム川。川下りを楽しむのは夏の恒例行事(2019年8月)

日本には帰れない。だから、「日本には帰らない!」と踏ん張ることにした。

運命の人がいつか現われるなどと言っている場合じゃないけど、心の片隅で期待を持ち続けているのは、きっと私の名前のせいだ。

私の名前は「七瀬」。長年教員を務めた読書好きの祖父が、たくさんの随筆や詩集の中から探し出してくれた。与謝野晶子が29歳の時に生んだ双子の長女・次女に、森鴎外が名付けた「八峰」と「七瀬」に由来している。

森鴎外は双子を授かった与謝野晶子に、こんな祝歌を贈っている。

(むこ) きませ ひとりは山の 八峰(やつお) こえ ひとりは 川の 七瀬(ななせ) わたりて」

双子の姉妹が将来すてきな男性と結ばれることを祈って作られた。1人は八つの峰を越えて、もう1人は七つの川を渡って、そんな勇敢で立派なお婿さんがやってくるようにとの願いが込められている。

待つこと、37年。お婿さんは、いまだに姿を見せない。

私が日本でおとなしく待っていると思って、隅田川や多摩川あたりをうろうろしているのだろうか。それとも、ナイル川やアマゾン川の急流で溺れそうになって引き返してしまったのか。

まさか、これも気候変動のせい? 世界各地で河川の洪水リスクが高まっているらしいし。

いつ現われるかも分からない相手を、ただ待っているというのも性に合わない。七つの川を自ら渡っていけば、途中の三つ目あたりの河岸で、こちらへ向かって来る「お婿さん」と出くわすかもしれない。

そうして私は、久しぶりにマッチングアプリをダウンロードした。どうせ、アプリにろくな男なんていないと毒づいてみても、繰り返す日々に劇的な出会などない。

マッチングアプリを指でスワイプする。ディスプレイがキラキラ光る川面のようだ。あてもなく浮遊する私を、川の対岸へ少し押し進める。(英・ケンブリッジ大学講師 代田七瀬)

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プロフィル

代田七瀬
代田七瀬(しろた・ななせ)
ケンブリッジ大学アジア中東学部日本研究科講師
1987年生まれ。東京都出身。慶応大学総合政策学部卒業後、2011年3月同大大学院修士修了。その後イギリスに渡り、グラスゴー大大学院で修士号(社会学)、ケンブリッジ大学大学院で博士号(社会学、文化人類学)を取得。研究テーマは「良い聞き手とは」。銀座、ロンドン、アムステルダムなどのクラブで働くホステスらにインタビューを重ねる一方、マッチングアプリの実態について世界各地でフィールドワークを続ける。
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6309891 0 大手小町 2025/02/11 11:00:00 2025/02/11 11:00:00 /media/2025/02/20250207-OYT8I50026-T.jpg?type=thumbnail

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