[追憶 健さん]没後10年<2>大ちゃんがいる現場 故郷のような
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「僕は大ちゃんがいる現場にいれば、不思議な故郷に帰ったような
「鉄道員(ぽっぽや)」(1999年、降旗康男監督)のクランクアップ後、高倉健が撮影監督の木村大作(85)に宛てた手紙の一節だ。木村は「映画スタッフでは降旗さんが一番(高倉との)関係が深いが、その次くらいじゃないか。技術だけでなく、精神的につながっていた感覚があるんだ」としみじみと語る。
初タッグは日本陸軍による雪中行軍中の遭難事故を描いた「八甲田山」(77年、森谷司郎監督)。雪深い青森の八甲田山で、3年がかりで撮った。ロケの裏話はいくつもあるが、その一例が十和田湖畔で徳島大尉(高倉)率いる弘前第三十一連隊を撮った時のことだ。
雪中、連隊が歩いて移動するシーンだったが、木村によると「体感温度は氷点下35度」。座り込んでしまった高倉以下、俳優たちは動かず、「ストライキのようになった」。状況を打破すべく、木村は湖の中に入って「キャメラ、ここ!」と叫び、近くの松の木まで移動するよう求めた。すると俳優陣は動き出し、高倉は松の木の前でカメラに背を向け、若手俳優に演説し始めた。後で聞くと「これからはあのキャメラマンの言うことを聞かなければだめだ」と呼びかけていたという。
共に過酷なロケを乗り越えた木村を信頼した高倉は、降旗監督「駅 STATION」(81年)のカメラマンに指名する。以来、降旗と木村は16作品を手がける名コンビとなり、このうち「居酒屋兆治」(83年)、「あ・うん」(89年)など7本の高倉主演作を撮った。
「健さんは『これは自分がやるべきじゃない』と感じたら絶対に受けない。でも、OKした作品は間違いがなかったから、企画段階で俺も全てOKしていた。一番、映画を分かっていた人だと思う」
また、「自分の心を隠したことがない」という木村は高倉にも遠慮なくもの申してきた。「大ちゃんにそう言われると気持ちがいいよ。そんなこと言われたことないから」と高倉から伝えられたこともある。「顔を見ていると、これからの芝居で何を言いたいのかが分かる。本番は1回きり。何をやるかわからないけれど、その緊迫感を全て撮り逃がしていない自負がある」
高倉を「ただただすごい人」と評する木村。「セリフを言わずとも、立っているだけで表現してしまう。立ち姿に人生が、後ろ姿に全ての情感がにじみ出る俳優は、高倉健しかいない。今でも一日に一回は健さんのことを思うよ」
(松田拓也)