[追憶 健さん]没後10年<1>高倉健さんに会いたい
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映画の舞台、訪れる人絶えず…「鉄道員」自分と重ね合わせ
夏真っ盛りの7月、北海道南富良野町。大型バスやマイカーから降りた観光客が「
降旗康男監督作の「鉄道員」は鉄道の安全運行に生涯をささげた男の往生
その待合室を抜けて、小さな階段を上るとホームがある。
「どうぞゆっくり見ていってください」
観光客に気さくに声をかける佐藤圭子さん(85)は撮影時、地元の幾寅婦人会会長として、100人にも上るロケ隊の炊き出しに参加した。当時、日本映画史に残る傑作になるとは思いもしなかった。
仕事一筋を貫いた老駅長と、廃線を控えた鉄道。時代の変化に取り残された両者が重なり、物悲しさが漂う。観光客は60~70歳代を中心に、親や祖父母が高倉ファンという世代まで幅広い。「家族も大事だけれど、仕事が一番。当時はそういう仕事人間が多かったですよね。(乙松を)自分や親世代と重ね合わせて、懐かしむ方が多い」。現・婦人会会長の後藤治子さん(75)が語る。
くしくも物語と同じ運命をたどり、幾寅駅は3月末で廃止となった。町は観光資源として残すため駅舎取得に向けた手続きを進め、多くの住民が駅舎の保全に協力している。後藤さんは言う。
「営業終了後どうなるのか不安だった。4月1日に『気になって見に来た』というお客さんに接し、続けていこうと思った」
「網走番外地」「君よ憤怒の河を
刑務所を出所した元炭鉱労働者、勇作を演じた。刑期を終えた日に、自分の帰りを待っていてくれるなら、庭先に黄色いハンカチを掲げるよう妻にはがきを送っており、行きずりの男女と夕張を目指す。東映時代に確立した
炭都として栄えた往時の名残が刻まれている。映画愛好者らでつくる「ゆうばりキネマ・クラブ」代表の松宮文恵さん(76)も「何気ない市民生活や、今はなくなった線路も映り込んでいる。記憶の中にしかない街並みを語り継いでいくのに貴重な映画」と語る。
「鉄道員」の舞台、幌舞駅も石炭の積み出し地として栄えたという設定だった。両作に共通するのは
こうした映画や企業CMを通じて寡黙で不器用な印象が定着したが、心を許した人に見せる素顔は少し違ったらしい。夕張ロケ時に宿泊した「彰月旅館」(廃業)の元
「高倉健もアラン・ドロンにはかなわんもんなぁ」
氏家さんは困ったような表情で笑う姿が忘れられない。高倉は別の映画のロケ先から電話してきたり、旬の食材を贈り合ったりと交流は晩年近くまで続いた。
勇作夫妻が再会する炭鉱住宅のセットを再現した「幸福の黄色いハンカチ
「夕張の旅 これが最後かも知れない 健さん永遠に」「健さんへ どうか見ていて下さい みんな幸せに生きていけるようによくばらず はげましあいながら」
松宮さんは「皆、高倉健をしのんで来る。この映画で任侠路線から変わったと言われているけれど、俳優としての本質が背中、全身からにじみ出ている点は引き継がれている。そこが逆にいいのさ」と語る。
演じる役の前に、人間高倉健が強烈に出る。それが色あせない輝きとなり、心をひきつけてやまない。
(木村直子)
11月、没後10年を迎える映画俳優の高倉健。生前の人物像を知る人たちが、日本人に広く愛された「健さん」への思いを語ります。
愛用品展示 来月3日から…東京・大手町 読売新聞ビル
高倉健の没後10年を記念して、愛用品などを展示する特別企画展「高倉健に、なる。」(主催・読売新聞社)が10月3日から11月28日まで、東京・大手町の読売新聞ビル3階よみうりギャラリーで開かれる。入場無料。
デビューから晩年までに出演した映画の資料や企業CMなどを通じて、映画俳優にこだわった高倉の美学や人柄を振り返る。サングラス=写真=などの秘蔵コレクション、本人が書き残した様々な言葉のパネルなども展示する。日曜、祝日をのぞく午前10時~午後7時(土曜は午後5時まで)。展覧会サイトは こちら 。