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労働者のシンボルでもあった
ヘルメットには、かつては「鉄帽」という呼び方もあった。
例えば60年(昭和35年)4月9日夕刊社会面に<“三池の歌”に曇る大会 鉄帽を背に傍聴 涙で訴える上京労組員>という記事がある。炭労こと日本炭鉱労働組合の大会を伝える記事だ。明治以来の近代化を支えた石炭産業が斜陽化する中、九州の三池炭鉱から上京した組合員たちが苦境を訴えたことを伝えている。
<八階の傍聴席はハチ巻き、ヘルメット姿で三池の歌を歌って気勢をあげる第一組合員約九十人が大会を監視するようにつめていた>
もちろん、都会のビルで行われる会議にヘルメットを必要とする危険があるわけではなく、炭鉱の労働現場から来たことを強調するためだろう。
三池炭鉱の閉山を前にした97年(平成9年)2月に、西部本社版夕刊1面に5日間にわたって福岡・大牟田生まれの記者による「三池残映」が連載された。2月25日掲載の第2回のタイトルも<鉄帽>。写真を大きくあしらっている。親類の元炭鉱マンが家の奥から出してきた、<坑内の記念の「鉄帽」>である。
<縁に白いビニールテープの手巻きの三本の線><三池労組員は、抵抗、団結、統一を表す三本の線をシンボルに、総資本と闘った>
ヘルメットは労働者のシンボルでもあった。
ピンクのヘルメットで座り込み
そして、60年代後半に激化した学生運動でも、学生たちはヘルメットをかぶった。頭にヘルメット、手にはゲバルト棒と呼ばれる角材が典型的なスタイルで、「白ヘル」「赤ヘル」「黒ヘル」などヘルメットの色で自派と他を区別した。
学生運動は別として、70年代にヘルメットで一世を
ひとつは中ピ連。正式名称は「中絶禁止法に反対しピル解禁を要求する女性解放連合」という女性による社会運動で、ピンクのヘルメットをかぶり、世界医師会総会が開かれた東京のホテルの前で座り込みをするなど、数々の実力行使で知られた。さらに日本女性党を結党して77年(昭和52年)の参院選に10人の候補者を立てたが全員落選したことで、中ピ連、女性党ともに解散。5年間の活動期間だったが、同時代人には強い印象を残した。