70年代はヘルメットの時代だった、のかも

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カープの代名詞「赤ヘル」

 もうひとつは「赤ヘル」。プロ野球の広島東洋カープである。

「赤ヘル軍団」広島東洋カープが悲願の初優勝。胴上げされる古葉竹識監督(東京・後楽園球場で)=1975年(昭和50年)10月15日
「赤ヘル軍団」広島東洋カープが悲願の初優勝。胴上げされる古葉竹識監督(東京・後楽園球場で)=1975年(昭和50年)10月15日

 戦後の広島の復興を象徴する球団として50年(昭和25年)に誕生したものの成績は低迷し、最高位は3位が1度だけ(68年)。72~74年も3年連続最下位だったチームが、75年(昭和50年)、突如として首位を争う快進撃を見せた。

 カープはこの年、アメリカから招いたジョー・ルーツ監督の意向で帽子とヘルメットの色に赤を採用、ユニホームにも赤いラインを入れた。これが「赤ヘル軍団」の異名となった。読売新聞でも、8月1日の記事で<“赤ヘル集団”猛威>、9月23日には<“正夢”に突進、赤ヘル軍団>と、この言葉を使っている。

 ルーツ監督自身は4月末に判定をめぐるトラブルで退場となり、そのまま退団したが、古葉竹識コーチが監督を引き継ぎ、山本浩二、衣笠祥雄両選手らの活躍で初優勝を遂げた。

 以後、半世紀近く過ぎた今も、「赤ヘル」はカープの代名詞となっている。

仮面ライダーも地球防衛隊員も

死球によるあごの骨折から復帰、あごをかばう特製フェースガードをつけて打撃練習を行う近鉄・マニエル選手=1979年(昭和54年)8月4日朝刊
死球によるあごの骨折から復帰、あごをかばう特製フェースガードをつけて打撃練習を行う近鉄・マニエル選手=1979年(昭和54年)8月4日朝刊

 ちなみにプロ野球では、50年代から打席でヘルメットをかぶる選手もいたが、打者全員に義務化されたのは70年代に入ってからだった。

 筆者は75年には小学生だったので、当時はあまり意識していなかったけれど、こうやって同時代の出来事と並べてみると、帽子もユニホームの袖も赤いのに、カープが「赤ヘル」と呼ばれたのは、学生運動で用いられた「色+ヘル」という呼称が耳慣れていた影響もあったのではと想像される。中ピ連のピンクのヘルメットも、学生運動に倣ったものだろう。

 そう考えると70年代はヘルメットの時代であった、とまでは言い過ぎかもしれないが、同時期に筆者らの世代が熱狂した「仮面ライダー」は、仮面という名のヘルメット姿でオートバイを走らせる英雄だったし、ウルトラヒーローとともに戦う地球の防衛組織の隊員たちも、皆ヘルメット姿だ。人々が生活のさまざまな局面でヘルメットを目にしていたことは間違いない。

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