『在野と独学の近代 ダーウィン、マルクスから南方熊楠、牧野富太郎まで』志村真幸著

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日英の独学者にみる「学問」

評・岡美穂子(歴史学者・東京大准教授)

◇しむら・まさき=1977年生まれ。慶応大准教授。南方熊楠顕彰会理事。『南方熊楠のロンドン』でサントリー学芸賞。
◇しむら・まさき=1977年生まれ。慶応大准教授。南方熊楠顕彰会理事。『南方熊楠のロンドン』でサントリー学芸賞。

 近年SNSで誰もが情報を発信できる時代になり、「学問」を取り巻く状況も大きく変化している。そこでは専門分野の研究者ではなくとも、紛糾する話題について深い知識と洞察力でコメントを発信する人が散見される。その一方で「権威」に対する嫌悪感は現実よりも露骨で共感を得やすいようで、大学勤めの研究者もしばしば攻撃対象となる。しかし、そもそも大学に雇用される研究者が、そうではない人よりも権威を持つという暗黙の了解は、いつ頃どのように形成されたのであろうか。本書はその疑問を解くカギになりそうである。

古代史を志した理由は、子供のころ読んだ手塚治虫の『火の鳥』 倉本一宏さん

 本書では19世紀後半から20世紀前半にかけての日本とイギリスにおける学問世界の在り方の違いがフレームとなる。これらを つな ぐのは、「在野研究者の先駆け」として知られる南方熊楠であり、取り上げられる他の人物も熊楠と何かしらの関係がある。直接的に交流のあった、日本の民俗学の父柳田国男 のほか、牧野富太郎のように関係は薄くとも同時代に生き、官学の権威から排除された在野の研究者の生き方も紹介される。

 熊楠は約八年間イギリスで研究生活を送ったが、大学に留学したわけではなく、主に大英博物館の図書室で海外の古典から最新研究の書誌に没頭し、博物館で知識を得た。日本に帰国後も大学には職を得ていない。当時のイギリスでは大学は専門的な研究をおこなう場所とは見なされておらず、著名なダーウィンもまた大学には所属していなかった。それに代わって学問をめぐるコミュニケーションの場であり、「権威」を保証していたのは、「アカデミー」や「ソサエティ」と呼ばれる愛好家の協会であった。日本では明治維新以降、主に政府が確立した「帝国大学」の内側で学問が発達していったために、 おの ずとそれは「官」の権威に依拠した。帰国後の熊楠はそのような日本の学問世界の在り方に大いに不満を抱いていたようだ。それでも彼等の生き様が現代人の心を捉えるのは、不遇の中で何かを追究するひたむきな情熱が人々を魅了するからに他ならない。(中公新書、1056円)

読書委員プロフィル
岡美穂子( おか・みほこ
 1974年生まれ。歴史学者、東京大准教授。専門は中近世日本の海外交流史。中でも南蛮貿易に関する研究をしている。著書に『商人と宣教師』。

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