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患者と性的関係を持ったり、わいせつ行為をしたりした医師の行政処分の基準づくりが宙に浮いている。職権を乱用した性行為の禁止を目指した厚生労働省の審議会の議論が今夏、結論が出ないまま打ち切られた。専門家は「医療界の信頼に関わる。臨機応変に処分できる仕組みが必要だ」と指摘する。(都梅真梨子)
被害患者、泣き寝入り
「あの男には二度と医師と名乗ってほしくない」。長女を失った鹿児島県の看護師の女性(66)は、語気を強める。精神保健福祉士として、県内の精神科クリニックに勤めていた長女が命を絶ったのは2016年8月。32歳だった。
遺品のスマートフォンには、勤務先の院長だった男性医師(52)から送られた大量のメッセージが残っていた。そのやりとりから、男性医師に「うつ病」と診断されて向精神薬を処方され、深夜に頻繁に呼び出されて性行為を求められていたことが判明した。
さらに、クリニックの同僚男性と性的関係を持つよう命じられ、自殺する直前には「最低おんな」などと繰り返し罵倒されていた。女性は、娘の自殺は男性医師の言動が原因だったとして、損害賠償を求めて鹿児島地裁に提訴した。
代理人の早川雅子弁護士によると、男性医師の別の女性患者が14年12月に自殺した。「性的関係は解消して治療を再開して」と求める女性患者に、「じゃあ治療はおしまい」と返したメールが残っていた。
早川弁護士は「病気や薬の影響下にある患者は立場が弱い。見放されたくないと考えて要求に応じ、依存状態に陥ることがある。男性医師は立場を悪用して性的搾取に及んでおり、診断や治療が適切かどうかも疑わしい」と話す。
男性医師は18年、性的関係を持った患者に提供させた家族の保険証を使い、国から診療報酬をだまし取ったとする詐欺容疑で逮捕された。有罪確定を受け、厚労省は21年2月、医業停止3年としたが、患者との性的関係については処分の対象としなかった。
男性医師は今年2月に処分期間を終え、医師としての復帰が可能となった。復帰について男性医師は取材に対し、代理人弁護士を通じ「(女性の遺族との)訴訟が続いているのでコメントは控える」と回答した。
「品位損する行為」の定義難しく
医師法や歯科医師法では罰金以上の刑が確定した場合に加え、「医師の品位を損する行為」があれば、厚労省が調査し、免許取り消しなどの行政処分が可能。具体的な禁止行為は明示されておらず、厚労省の審議会が事案ごとに決める。
ただ、処分はほとんど刑事罰の確定をもって出されており、品位を損する行為で処分された医師は過去に3人しかいない。厚労省の担当者は「品位の定義は人によって異なり、適用が難しい。調査の人手も足りず、裁判所の認定に頼らざるを得ない」と明かす。
23年以降に戒告以上の処分を受けた医師と歯科医師は102人。そのうち42人が、わいせつ事件で有罪が確定していた。更衣室での盗撮や、患者の体を触るなど医師の立場を悪用したケースが目立つ。
東京都港区の精神科クリニックの60歳代の男性院長については、「診察中に無理やりキスされた」などの相談が保健所に複数寄せられた。18年に患者への強制わいせつ容疑で逮捕されたが、被害者と示談が成立。処分を受けておらず、現在も診療を続けている。
性犯罪の被害者は事件を表沙汰にしたくないという思いから、示談に応じることが多い。その結果、多くの医師が処分の網の目から逃れる事態となっている。
医師会は「必要ない」と反発
鹿児島県の精神科医の問題が国会でも取り上げられ、厚労省は21年4月、日本医師会の代表者や大学教授でつくる審議会で、「品位を損する行為」の基準づくりに向けた議論を始めた。
議論は非公開で、関係者によると、「同意の有無にかかわらず、患者と性的関係を持つこと自体が不適切」「民事裁判の証拠だけでも処分できるようにすべきだ」との意見が多く出た。
だが、日本医師会の代表らは、「厚労省には警察のような捜査権がなく、たまたま発覚したケースだけを処分するのは不公平」「基準づくりの必要はない」などと反発。議論は平行線をたどり、基準づくりは不調に終わったという。
医師の倫理に詳しい金沢大付属病院の野村英樹特任教授は「基準が作られなかったことは非常に残念で、日本の医師免許制度への信頼を揺るがしかねない。一部医師の不適切行為を放置することは許されず、国や日本医師会は今後も、基準づくりに向けた検討を続けるべきだ」と話している。