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「すごいものを見てしまった」。厚生労働省が7月初めに開いた年金部会。部会が終わった後、出席者の間から思わずそんな声が漏れた。何が「すごい」のか。部会の席で橋本泰宏年金局長(当時)が、年金局が長年検討し、来年の年金改正の法案に盛り込もうとしていた改革案(国民年金納付5年延長案)を、今回は断念すると表明した。部会委員の間でも賛成意見が多く、年末に向け、いよいよ議論を本格化させる段階で、政策当局が改革案を取り下げるのは極めて異例だ。それだけに局長の口ぶりには苦渋の色がにじみ、それが「すごいものを見た」と出席者に言わせたというわけだ。なぜ5年延長案は先送りになったのか。一言でいえば「負担増はまかりならん」という各方面からの“圧力”が強かったためといわれている。だが、この案には見るべき点が多い。今回は、この改革案について取り上げてみたい。
国民年金保険料の納付期間を40年から45年に延長
公的年金の一つである国民年金(基礎年金)は、20歳以上60歳未満のすべての人が加入し、保険料(月1万6980円=2024年度)納付期間に応じて基礎年金(40年加入の場合、満額の月6万8000円=2024年度)を原則65歳から受け取る。この保険料納付期間を、現在の40年から45年(20歳以上65歳未満)に5年延ばそうというのが改革案だ。
最大の理由は基礎年金の充実…寿命と就労期間の延長も背景に
なぜか。
一つには、寿命の延びが挙げられる。1955年時点で男女とも60歳台だった平均寿命は、2022年時点では男性は81.05歳、女性は87.09歳に延び、今後も延びると予測されている。今では男性の4人に1人、女性の2人に1人が90歳まで生きるとされ、100歳以上人口も将来的には70万人台にまで増える見込みだ。年金を受け取る期間が延びているのに、保険料の納付期間はそのままでよいのかという点がある。
もう一つは、就労期間が延びていることだ。雇用分野で65歳までの雇用確保措置が義務づけられたことを受け、60歳を過ぎても働く高齢者が増加した。自営業者も、65歳以上が4割超を占める。就労期間の延びに現行の保険料納付期間が合っていないという指摘がされていた。
そして何よりも大きな理由は、改革案を実行すれば基礎年金の充実が見込める点だ。基礎年金の給付水準は今後、少子化などの影響で低下せざるを得ないが、納付期間を5年延長すれば、満額なら今より1.125倍手厚い年金額を受け取れる。もちろん、それには(1)5年分の保険料を払う(2)基礎年金に投入されている国庫負担分の財源を確保する(基礎年金に投入されている国庫負担2分の1の財源として、将来的には1兆円超が必要と試算されている)――ことが必要となる。ただし、(1)の保険料追加は全員が必要になるわけではない。
追加支払いが必要なのは、国民年金のみの受給者
追加の納付が必要となるのは、基礎年金だけを受け取っている自営業者や短時間労働者、無職の人たちだ。所得が低くて納付が難しい場合は、保険料免除の仕組みを利用できる見込みだ。
一方、新たな保険料負担が生じない人たちもいる。国民年金と並び、公的年金の重要な柱である厚生年金に加入している60歳以上の人たちだ。60歳以降も働く会社員などが納める厚生年金保険料(保険料率は賃金の18.3%。これを本人と事業主が半分ずつ負担)には、既に国民年金の分の保険料が含まれているためだ。
逆に、国民年金分の保険料を払っているにもかかわらず、これまで基礎年金の給付に結びついていなかった部分が改革案により結びつき、今と負担は変わらないまま、基礎年金を増やせることになる。
このほか、5年延長を行うことで老後の基礎年金が増えれば、障害基礎年金や遺族基礎年金も原則増えると見込まれている。
保険料5年分の負担増が問題に…「新たな負担増隠し」の批判も
年金の給付水準の底上げにつながるなど、年金部会の委員の間でも賛成意見が多かったこの改革案は、部会での検討が始まった昨秋以降、ネットやテレビ、雑誌、また、国会の場でも取り上げられ、「財源穴埋めのため負担だけ取ろうとしている」「支給開始年齢引き上げのための布石」など、誤解も含め、様々な反響を引き起こした。問題とされたのは、一番の課題だと思われていた国庫負担分の財源確保策より、5年分の保険料負担増の方だった。国会では、報道による「国民の声」や「町の声」として「100万円を5年の長きにわたって払えるだろうか」「65歳どころか次は69歳まで払え、70歳まで働けということになるんじゃないか」などの声が紹介され、野党からは「子ども・子育て支援金に続く新たな負担増隠し」との批判の声も上がった。保険料負担増が低所得者に及ぼす影響や、追加で必要となる国庫負担が増税につながる懸念から与党や官邸の間でも慎重論が強まり、「今回は無理」という空気が醸成されていったとされる。
年金局長「批判を払拭できず力不足」…次期改正の検討課題にせず
橋本年金局長は部会での発言で、改革案は健康寿命の延伸や働く高齢者の増加などから見て「最も自然なやり方」で、基礎年金が年間10万円増加する「優れた方策」であると強調。しかし、「5年で100万円の保険料負担増」のみが強調され、負担のみの批判があったとし、「負担と給付はセットであることをアピールしてきたが、残念ながら批判を
局長発言に続いて行われた部会の議論では、委員から改革案の議論継続を求める声も出たが、将来的な議論の必要性は認めつつ、次期改正の検討課題とはしないとの厚労省の方針が改めて示された。