信長の家臣「弥助」の縁、出身のモザンビーク臨時代理大使「万博出展に協力を」…近江八幡市長に要請
完了しました
織田信長の家臣だった外国人「
信長や弥助の歴史に詳しい安土町商工会会長の高木敏弘さん(71)が今夏、仕事を通じてモザンビークの関係者と知り合ったことをきっかけに、ニャルンゴ氏らに近江八幡市への訪問を呼びかけて実現した。
弥助については、側近が信長の生涯を記した「信長公記」などに記述が残り、イタリア人宣教師、アレッサンドロ・ヴァリニャーノ(1539~1606年)がインドから連れてきた使用人だったとされる。1581年(天正9年)2月、信長に引き合わされ、気に入られたという。
信長公記は弥助について、年齢は26、27歳、十人力の力があった――などと記している。信長が討たれた82年の本能寺の変以降の弥助の行方などについてはわかっていない。
一方、ヴァリニャーノらが企画した少年らのローマへの派遣団「天正遣欧使節団」が86年、日本への帰路の途中、モザンビークの島に寄港。季節風の風向きが変わるのを待つために6か月間を過ごした交流の歴史もある。
18日に同市を訪れたニャルンゴ氏は小西市長と非公開で面談。市によるとニャルンゴ氏は「関西万博のパビリオン内で、弥助を通じて日本とモザンビークの関係を紹介することを検討しており、協力をお願いしたい」と求めたという。
ほかにも、8年後に弥助が日本に来て450年となることに触れ、「記念的なことができればと考えている」と提案。小西市長は「安土城は2026年、築城450年を迎える。弥助の来日450年を含めて何か一緒にできるといい。協力させていただく」などと応じたという。
その後、高木さんの案内で、一行は同市安土町の安土城跡や安土城郭資料館を視察。報道陣の取材に応じたニャルンゴ氏は「400年以上前、ここ(安土町)へ来た弥助はモザンビークにとってヒーロー。両国の縁を大切にしたい」などと話した。