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信長の家臣「弥助」の縁、出身のモザンビーク臨時代理大使「万博出展に協力を」…近江八幡市長に要請

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 織田信長の家臣だった外国人「 弥助やすけ 」の出身国とされるアフリカ南東部のモザンビーク駐日臨時代理大使のジョゼ・アントーニオ・ジュスチーノ・ニャルンゴ氏(59)が滋賀県近江八幡市を訪れ、小西理市長と面談した。同国は2025年大阪・関西万博に出展するパビリオンで弥助を通じた日本との交流を紹介する予定で、協力を呼びかけた。(中村総一郎)

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安土城跡で高木さんの説明を聞くニャルンゴ氏(左、滋賀県近江八幡市で)
安土城跡で高木さんの説明を聞くニャルンゴ氏(左、滋賀県近江八幡市で)

 信長や弥助の歴史に詳しい安土町商工会会長の高木敏弘さん(71)が今夏、仕事を通じてモザンビークの関係者と知り合ったことをきっかけに、ニャルンゴ氏らに近江八幡市への訪問を呼びかけて実現した。

 弥助については、側近が信長の生涯を記した「信長公記」などに記述が残り、イタリア人宣教師、アレッサンドロ・ヴァリニャーノ(1539~1606年)がインドから連れてきた使用人だったとされる。1581年(天正9年)2月、信長に引き合わされ、気に入られたという。

 信長公記は弥助について、年齢は26、27歳、十人力の力があった――などと記している。信長が討たれた82年の本能寺の変以降の弥助の行方などについてはわかっていない。

 一方、ヴァリニャーノらが企画した少年らのローマへの派遣団「天正遣欧使節団」が86年、日本への帰路の途中、モザンビークの島に寄港。季節風の風向きが変わるのを待つために6か月間を過ごした交流の歴史もある。

 18日に同市を訪れたニャルンゴ氏は小西市長と非公開で面談。市によるとニャルンゴ氏は「関西万博のパビリオン内で、弥助を通じて日本とモザンビークの関係を紹介することを検討しており、協力をお願いしたい」と求めたという。

 ほかにも、8年後に弥助が日本に来て450年となることに触れ、「記念的なことができればと考えている」と提案。小西市長は「安土城は2026年、築城450年を迎える。弥助の来日450年を含めて何か一緒にできるといい。協力させていただく」などと応じたという。

 その後、高木さんの案内で、一行は同市安土町の安土城跡や安土城郭資料館を視察。報道陣の取材に応じたニャルンゴ氏は「400年以上前、ここ(安土町)へ来た弥助はモザンビークにとってヒーロー。両国の縁を大切にしたい」などと話した。

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