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元プロ野球監督の野村克也さんは、妻の沙知代さんを亡くして1年あまり。あれこれ考えるタイミングで、「ひとり」について聞きました。(シングルスタイル編集長 森川暁子)
*ひとりインタビュー…元プロ野球監督 野村克也さん 83
先にいかれるとは思わなんだな
――奥様が亡くなって1年あまりでしょうか。
「まるまる1年たって、2年目に入ります」
――突然だったんですね。
「5分のできごとですよ。私、隣の部屋でテレビを見てたんですけど、お手伝いさんが、奥さんの様子がおかしいですって言いにきて。テーブルにおでこをつけてうずくまっているところを、背中さすりながらどうした、大丈夫かって。『大丈夫よ』って言ったのが最後です。救急車を呼んで、救急車が来て担架に乗せるときはもう息がなかったですよ。虚血性心不全かなんかいう。先いかれるとは思わなんだなー」
――奥様が先、というのは考えてらっしゃらなかったんですね。
「元気でしたからね。ベッドの上で闘病生活してたっていうんならね、その間に覚悟もできるでしょうけど。俺より先に逝くなよっていうのはうるさいぐらい言ってたんですけど、「そんなことわかんないわよ」って言って。今はもう、男の弱さを痛感してますよ。世の男性もね、もし、女房がいなかったらっていうのを想定して毎日過ごすと、感謝するようになるんじゃないですか」
ぼやきを聞いてくれる人がいない
――ひとりだなあ、と思うのは…。
「まあ夜ですね。ぼーっと、ひとりで、応接間に座ってる。なんとも言えないですね。もう、寝るのも食べるのも、だれもそばにいない、話し相手がいないっていう、このさみしさね」
――奥様とはよく話をされてたんですか。
「ぼやきのノムさんっていわれるぐらいでね。ぼやきを聞いてくれるのは女房だけですから。ぼくはキャッチャーですから、例えば外角低めにパンと要求しても、ピッチャーは思い通りに投げて来ない。キャッチャーって毎試合完全試合を目指してるんですけど、30年やって1回もないですからね。それが野球です。そういうことが、不平不満につながっていって、ぼやきになる」
――それを奥様が聞いて。
「そうです。野球知らないのが、かえっていいんだよね。ただの欲求不満とかっていう立場で聞いてますから。また始まった、ぐらいの気持ちで聞いてたんじゃないですか。彼女の口癖は『なんとかなるわよ』でした。まあ、ずっと、なんとかなりましたよね。サッチーさんははっきりモノいう人ですから。それは逆に励みになるんで」
「なんとかなるわよ」
――「なんとかなるわよ」ってポジティブですね。
「なんでもそうです。非常に楽観的というか、前向きな発言で背中を押されましたね。ぼくはどうしてもマイナス思考ですから。弱気、弱気でものごとを判断しちゃって、気が弱いんですよ。典型的に強気の女房ですから、コンビとしてはよかったんじゃないかと思うんですよ」
――それが急にいらっしゃらなくなって……。
「聞いてくれる人がいないんですよ。おれも死のうかなと。そうすると、まあ『まだ来ないでいいわよ』って言ってるような気がしてしょうがない。『何弱気になってんの』ってハッパかけられそうな気が、いつもしてるんですよ」
できるだけ息子たちの負担にならないように
――お食事とかはどうされてるんですか。
「今までは女房任せでしたから、考えたこともないんだけど、今毎日それを考えないと。庭続きに息子の克則夫婦がいるから、こっちが言えばやってくれるんでしょうけど、あんまり息子の嫁に世話かけるのもいやですしね。できるだけ負担にならないようにっていう思いがあるんで、ほとんど外食です。なじみの店が5軒ぐらいあって、それをローテーションで回ってるんです」
「克則が結婚して子供ができてっていうときに、『ここへ家を建てていいかな』って来たんです。ぼくはせっかく悠々自適で生活してんのに、と思ったんですけど、女房は大賛成です。いいわよって。まあ、結果的にはよかったですね。何か御馳走を作れば持ってきてくれたりね。なんでもしてくれますから」
――1年たって、今の生活にお慣れになった部分はあるんですか。
「慣れるってのは、生涯ないんじゃないですか。女房の写真がずっと飾ってあるし、頭から離れないんで。沙知代にまさる女はいない」
――野村さんのご本には、「変わる勇気」っていう言葉がよく出てきます。この1年で、何か変わってたところはありますか。
「そこですよね。変わってないと思うんですよ。(沙知代さんに)叱られそう。『何やってんのよ』って言われそうです」
「死ぬまで働け」って言われてましたから
――でも、こういう取材とか、お仕事のご依頼で忙しそうです。
「おかげ様で、ほとんど毎日仕事に出ます。なんでこんなご指名がかかるんだろうと不思議でしょうがない。きょうもそうですわ。読売っていえば、巨人にもスーパースターがいっぱいいるのに」
――奥様まで有名な方は、そんなにいらっしゃいません。
「はっはっ。奥さんの方が有名ですよ。でもうれしいですね。声かけてもらうっていうのは。求められているうちが華ですね。まあ、女房がしょっちゅう言ってましたから。『死ぬまで働け』って。野球のおかげでね、幸せな人生を送らせてもらってるわけで、たかが野球ですけど、ぼくにすりゃ、されど野球です。野村―(ひく)野球=ゼロですよ、間違いなく」
野球しかなかったんです。
――取材でも、奥さんに先立たれて途方に暮れてしまう男の方の話をよく聞くんです。
「みなさんやっぱり、男の弱さを痛感してると思うんですよね。ほんとに強いのは女だね。おふくろとサッチーを見てるからそう思いますよ」
「父親が僕が二つのときに戦争に行って、三つのときに死んだんですけど、おふくろは1人で働いて、兄貴と僕を養った。弱音を吐かないんですよね。でも、とんでもない貧困家庭で、ぼくはもう、金持ちになれることばっかり考えてました」
――歌手とか、ですよね。
「ぼくよりひとつ年下の美空ひばりさんが電撃的にデビューなさって、あれよあれよという間にスーパースターになられてね。おれも歌手になろうと音楽部に入って、発声練習をやったんですけど、高い音が出ないんですよね。次はよし、映画俳優だと思ったんですけど、まあ、鏡に映る自分の顔をみて、ああ、この顔じゃ無理だわと」
――俳優もよかった気がします。
「私らの時代に、もっと顔の悪い人がぽんぽん出て、顔は関係ないんだというものを作ってくれればよかったんですけど、なんせ田舎だから情報が入ってこなかった」
――でもそれで野球人生が開けたんですね。
「もう野球しかなかったんです。思い返してみりゃ運がいいというかね。いい人たちに恵まれました」
――きょうは寒い中、ありがとうございました。
「ふっふっ。うまく書いてくださいよ」
――きょうの晩ご飯はどうされるんですか。
「これから考えます」
(聞き手・森川暁子=「シングルスタイル」編集長)
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のむら・かつや 野球評論家。1935年、京都府生まれ。峰山高校から54年にテスト生として南海ホークスに入団。歴代2位の通算657本塁打を記録。ホークスの選手兼監督をはじめ4球団で監督を務め、ヤクルトスワローズを3度日本一に導いた。2017年12月、妻の沙知代さんを85歳で亡くした。「なにもできない夫が、妻を亡くしたら」(PHP新書)など著書多数。